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課題集 ギンナン3 の山

○自由な題名 / 池新


○こう考えると、人類にとって / 池新
 こう考えると、人類にとって平等は実現できないばかりか、あるいは不必要な価値ではないかという疑いも芽生えてくる。もちろん極端な貧困者を生まないために、一定の所得再配分は不可欠だし、不正な蓄財を防止すべきこともいうまでもない。だがそのうえで必要なのは、じつは格差のない社会ではなく、人が不平等を痛感しない社会であり、自己蔑視や他人への嫉妬に苛まれない社会ではないだろうか。そしてもしそうだとすれば、われわれは二つの予想によって、未来に多少の希望を抱くことができるかもしれない。
 第一の予想は、二十一世紀の富裕層が従来にまして不安定であり、はかない偶然に支配されるということである。先端を切る知識産業は、内容が投機であれ企画や発明であれ、人知では計れない運命に左右される。固定資産と巨大組織に基礎をおいて、成功すれば果実を維持しやすい工業社会の富裕層とは違うのである。
 ベンチャーは文字通りの冒険であり、情報の創造は芸術制作と同じように成功の持続を保証しない。しかも工業の大企業のなかでも今後は能力主義が強まるとすれば、今日の勝者が明日の敗者になる危険は明らかに高まる。このことは将来の富裕層を謙虚にしないまでも、少なくとも、彼らを見る世間の嫉妬の目をやわらげることを予想させるだろう。
 第二の予想は、現在のサービス産業がさらに多様化し、とくに消費者に触れる対人職業が隆盛を見せるだろうということである。流通や娯楽、医療や教育の現業部門、製造業なら商品の修理や保全を行う部門、伝統的な職人仕事と呼ばれる職業がこれにあたる。拙著『大分裂の時代』に詳しく書いたが、市場の世界化、巨大化が進むほど、不安な消費者は信用を求めて身近な小市場に頼ることが考えられる。物資消費から時間消費へ移る昨今の嗜好の趨勢も、対人サービスの需要を増大するだろう。さらに環境、資源保護の点から見ても、商品の修理や保全、リサイクルへの要求は強まるだろ∵うし、それに応えるには個別的なきめ細かなサービスが必要になる。
 こうした対人職業の特色は、それが顔の見える人間関係をつくり、そこで消費者の評判を感じ、他人の「認知」に励まされて働く職業だという点である。仕事によって小共同体を組織し、情緒的にも帰属感を覚えやすい職業だということである。本来、人間はたんに所得によってではなく、他人の認知によって生きがいを覚える動物であった。嫉妬や自己蔑視の原因は、しばしば富の格差よりも、何者かとして他人に認められないことに根ざしていた。
 これに対して、二十世紀の大衆社会は万人を見知らぬ存在に変え、具体的な相互認知を感じにくい社会を生んだ。隣人の見えにくい社会では、遠い派手な存在が目立つことになり、これが人の目を「富裕層」や「特権階級」にひきつける結果を招いた。ジャーナリズムの煽情も手伝って、嫉妬の対象がたえず再生産される構造が生まれたのである。
 こう考えれば今、急がれるのは社会の「視線」の転換であり、他人の注目を受ける人間の分散であることがわかる。普通の人間が求める認知は名声ではなく、無限大の世界での認知ではない。むしろ人は自らが価値を認め、敬愛する少数の相手に認められてこそ幸福を覚える。必要なのは、それを可能にする場を確保することである。
 そしてそういう場の可能性も見え始めている現在、残るは社会の価値観の一層の転換であろう。サービス産業の中で高度情報技術だけが注目される世論を改め、多様な対人職業のイメージを高めることである。すでにそれは料理人のような職業では見られることであるから、さまざまな教育手段によってこの転換を助けることは夢ではないはずである。

(山崎正和『世紀を読む』による)

○■ / 池新