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課題集 ギンナン3 の山

○自由な題名 / 池新


○日本には室町時代から / 池新
 日本には室町時代からずっと受継がれ、代々磨きぬかれてきた職人のわざ、芸、技術と、それを担ってきた職人たちの作法があった。職種は大工、建具、屋根、左官、畳屋、経師屋と異なっていても、彼らは家を建てるという一つの目的のもとに集った職業集団であり、技を競いあう建築のプロであった。職人の誇りが彼らを支えていた。人が見ていようがいまいがプロとしての誇りを満足させる仕事をすることが、彼らの心意気であったのだ。日本にはそういう完成しきった職人というプロの型があった。
 が、それも一九六〇年代に商品としての家屋が出現して以来、急速にこわれつつある。昔は大工たちが作る家屋は百年、二百年と代々の人間が住めることを前提にしてきたものだったが、商品としての家屋は見てくれのよさを第一に置き、永続を念頭におかず、せいぜい一代三十年(実際には二十年くらいでダメになる)もてばよいとして作られたものだ。レディーメイドの工場製品であるから、プロの技術を必要とせず、素人や半端職人がマニュアルどおりに組立てていけば完成する。この商品としての家屋が主流となったために、五百年もつづいた日本の職人芸はいまや滅亡寸前のところまで追いこまれているのである。注文主は無名の大工に頼んで伝統的家屋を作るより、有名な大会社の恰好のいい既成品を信用し好むようになったからだ。
 当然ながらそこには完成した職人の技術はなく、それとともに職人の心意気も作法も失われた。人間の行動の上の型が失われたのと同じように、仕事の型も、仕事をする工作人の作法もなくなってしまった。
 型として厳然とあった職人の技術と作法とが失われた背景には、ここでも日本の高度経済成長時代の影響があったことがわかる。家屋の大量生産による商品化と、工場による生産、建築技法のマニュアル化といった現象が、五百年来つづいたこの国の建築技術とそれを担う職人とを衰退させた。型の文化は破壊され、職人のマナーも失われた。つまりここでも社会の生産構造の変化が古き伝統文化∵を壊し、それに代る新しい作法を作るにいたらなかった事実が、目に見える形で起っていたのである。いまあの昔ながらの職人気質がこの国のどこに生きているだろう。
 現代社会のいろんな面でそういうふうに、経済構造の大変化のために人間の生き方の型がこわされてしまった。古い価値観が破壊され、それに代る新しい柱がたてられぬままぐらついているのが現代だと言うしかない。
 『ハムレット』第一幕第五場の終りに、ハムレットの科白として、
 The time is out of joint.
 (小田島雄志訳「今の世のなか関節がはずれている。」、木下順二訳「今は世の中の関節が外れている。」)
 とある。現代は世界中どこでもこの言葉のようになってしまっているようだが、中でもとくにわが日本は戦後五十年のあいだに今までのこの国人くにびとの生き方を支えてきた関節がすべてはずれたまま、新しい関節の構造は作られずに、がたがたぐらぐらしたままになっているかの如くだ。それが一方では政治家や官僚や経済人やの汚職、腐敗といった倫理的退廃としてあらわれ、一方では社会全体における倫理観と作法の喪失となってあらわれているのであろう。そしていわゆるバブル景気が破裂して経済全体がしぼんでしまった現在ようやく人の目につきだし、こわされたものに代る新しい社会構造と、その中での人間の生きる型とが求められだしたということなのであろう。必要なのは新しい価値体系であり、新しい倫理観である。倫理という関節をもう一度組み立て直さなければ、日本というからだ全体が再生することは不可能だという状態に、いまわれわれは置かれている。家は柱がなければ立たぬように、人間を人間たらしめるのは倫理なのだから。

(中野孝次の文章による)

○■ / 池新