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課題集 ゲンゲ3 の山

○自由な題名 / 池新
○この一年、新しい学年 / 池新

★チップを渡すということが / 池新
 チップを渡すということが、私たちの国にはない。チップはすべて、正価に含まれているものと思っている。高級レストランの高級さは、サービスの高級さとイコールであると無意識に思っている。ホテルやレストランで気持ちのいい応対をされた場合、心付けを包むのではなく、「またこよう」と私たちは考える。それが私たちの評価なのである。
 最近の温泉宿では、部屋に備え付けのパンフレットに「サービス料があるので心付けは不要」と、わざわざ書いてあったりする。年輩の知人は、彼女の長年の習慣らしく、温泉宿には必ず心付けを用意していくが、いつもそれは和紙に包んである。現金を生で渡す、ということに、私たちは激しい抵抗を感じる。しかも、紙幣ならともかく、コインを渡すという習慣は、まったくない。
 そして商売というのは、正直さを欠いたら成立しないと、これもまた、私は自分の国の習慣で信じている。千円のものを二千円で売ったとしたら、その瞬間は千円儲かったですむが、しかし、だまされたと知った客は二度とこないだろうし、その客がほかのだれかにそのことを話せば、ほかの客までこなくなる、というふうな思考回路を私は持っている。長い目で見たら、正直な商売のほうがぜったいに得だと思っている。だから、その場限りの百円、二百円を儲けようとする気持ちが、まるでわからないのである。その「わからない」ことこそ習慣の違い、郷の内部の問題のはずなのに、ことお金に関しては、ほかのことのようにすんなりと従うことができない。
 反対に考えると、異国の人が日本を旅した場合、お金に関する習慣の違いには、さほど苦労しないのではないかと想像する。ぼったくりバーなどにいけば話はべつだが、ごくふつうに移動して、ごくふつうに食事をしているぶんには、ぼられることはまずないし、チップの心配もいらないし、お釣りをごまかされることもない。そのぶん、物価が高いという多大な難点はあるわけだが。
 では、異国の人が日本にきた場合、いちばん苦労する習慣の違いはなんだろう、といえば、沈黙であるように私は思う。三週間や一カ月、異国を旅して帰ってきたとき、私がもっとも違和感を覚えるのが、じつはその沈黙である。日本の人は驚くほど声を発さない。∵ぶつかっても声をたてず、出くわし状態になっても無言、人の足を踏んでしまっても「すみません」と言う人はとても少なく、せいぜい無言で会釈するくらい。
 たとえば、銀行でも空港でもいい、人々が列になって順番を待っていたとする。そこに、列の存在に気づかず、だれか入りこんでしまったとき、ほとんどの国では声を出して注意する。「こっちに並んで!」と、ひとりが言うこともあり、列にいる全員が口々に言うこともある。が、日本では、声に出さず空気で示す。ついさっき、じつはそのような光景をJRの駅の構内で目の当たりにしたのだが、列の人々はみな、無言の内に、対応をしている駅員に、訴えかけるような視線を投げていた。駅員はちゃんと気づき、カウンターに割り込んできた女性に、「すみませんが、列ができているのであちらに並んでください」と注意してことなきを得ていた。私にはごく自然な光景ではあるが、よく考えればすごいことなのである。沈黙の習慣を持たない人から見れば、ほとんど超能力の世界だと思う。「空気を読む」という言葉が、他の国の言語であるのかないのかはわからないが、しかし、それは明らかに特殊な習慣だと私は思う。

(角田光代「お金と沈黙」による)

○■ / 池新