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課題集 ゲンゲ3 の山

○自由な題名 / 池新
○春を見つけた、種まき / 池新

★あるところに、一本の木が / 池新
 あるところに、一本の木が生えていた。木は、一人の少年をかわいがっていた。少年は毎日、木のところにきて、遊ぶ。枝でぶらんこをしたり、りんごの実をもいで食べたり、木陰でまどろんだり……。彼は木が大好きで、木も幸せだった。
 だが、時がたち、成長した彼の足はしだいに遠のく。木はひとりになることが多くなった。ある日、彼が来た。木は喜ぶ。彼は、遊ぶための金がほしいと言う。木は、りんごの実を売って金をつくったらいい、と勧めた。彼はりんごの実をごっそり採って、去る。木は、幸せだった。
 やがて、壮年になって、再び彼が来る。家がほしい、結婚したい、と言う。木は、枝で家を建てたらどうだろうと勧める。
 そこで、彼は枝を切り落とし、全部、持って行ってしまう。木は、幸せだった。
 また、木がひとりぼっちで過ごす日々が続いた。ある日、年をとった彼がやってくる。どこか遠くへ行きたい、船がほしいと言う。それなら私の幹を切り倒して船をつくったらいい、と木が言う。彼は木を切り倒して、持って行ってしまう。木は、幸せだった。
 長い年月がたった。老人になった彼が、とぼとぼと戻ってきた。しかし、木には、何もしてやれることがない。私はもう切り株だけだ、せめて、ここに腰をかけてお休み、と言う。背中の曲がった老人は、ゆっくりと腰をおろす。そして、木は幸せだった……。

 こういう話である。
 その含意は、実に深く、豊かなものである。この絵本自体がすばらしいが、さらに私の関心をひいたのが、この本を題材にしたある研究なのだ。
 この絵本を子どもたちはどう読むだろう、と考えた心理学者の守屋慶子さんが、四ヵ国の子ども約二千人に本を読ませ、感想を書かせて、それらを分析した。その成果が『子どもとファンタジー』(新曜社)という本にまとめられている。

(中略)∵
 詳しくは原著に譲るとして、私は自分が興味をひかれたことの一つ二つを紹介したい。

 たとえば、木と少年との接触があるたびごとに「木は幸せだった」と書かれている。この表現を、各国の子どもたちはどう読み取っているのだろう。
 四ヵ国というのは、日本、韓国、スウェーデン、イギリスである。感想を書かせてみたら、韓国、スウェーデン、イギリス、の子どもたちは、総じて「木は幸せだった」という表現をことば通りに受け取っていることがわかったそうだ。つまり、木は幸せだったと言っているのだから、幸せだったのだ、と額面通りに受けとめている。
 それにひきかえ、日本の子どもたちの受けとめ方は、やや複雑である。「木は幸せだった」とあるけれども、本当にそうなのだろうか、と思うらしい。本当はいやだったのだ、本当は悲しかったに違いない、というふうに受けとめる子どもが多いことがわかった。隠された部分があるように推量する、というのである。

(中略)

 守屋さんは「二重構造」ということばを使っている。たとえば「二重構造型の推量は、日本の子どもたちには多いが、英国やスウェーデン、韓国の子どもたちにはみられない」と書いている。

(白井健策「天声人語」の七年)による

○■ / 池新