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課題集 ゲンゲ3 の山

○自由な題名 / 池新
○バレンタインデー、もうすぐ春が / 池新

★近代文明は / 池新
 近代文明は、構造の発想に加えて効率と合理性を重んじる機能の発想を社会運営の中枢原理として取り込み、環境制御による成果志向的な社会運営法を確立した。近代は構造よりも機能を優先することで、中世文明の脱構築をはたしたのである。より正確に表現すれば、機能の発想が構造の発想を包摂するかたちで、文明のメタモルフォーゼ(変態)が起きたことだ。成果を上げるために人や物を制御する。目的を達成するために、効率的な手段を講じる。このような発想転換をした末に生まれたのが近代文明だった。機能の発想は、成果を確保するためには構造(ルール)は次つぎと変更してよい、構造を維持することよりも環境変化に適応することのほうが重要である、とする価値を生む。実際、近代社会では法や規範などの規則は絶えず変化しており、変化することが近代の本質であるといえる程、変化が奨励されてきた。
 機能的な成果主義は、規則にしたがうだけであったり、それに拘泥するだけでは、競争に取り残され敗者の憂き目をみる、という倫理基準をもたらす。成果を上げて進歩、発展することが評価基準となる。このため自己を取り巻く環境への一般的適応能力を高めること、成果を高めるための技能や知識を習得することが至上価値とみなされる。また、成果を確保するために、目標に対する手段を緻密に考量し、細心の注意を払って事のなりゆきを見守り、絶えずアクションを修正することが求められる。さらに、人びとに対して強圧的になると、志気が低下して成果の確保が困難になるので、志気を損なわぬよう各人を管理する必要が生じる。こうして、機能の文明は支配に代わって管理の発想をもたらした。機能の文明とは管理が優先する文明のことである。
 これに対し、来たるべきポストモダンを特徴づけるのが意味の文明である。その特徴は、機能の発想を超え、いまだ構造化していない領域での営みを重視することにある。そこは制御による成果の確保が中心となるのではなく、また規則によるパターン維持が中心になるのでもない。差異の分節による意味創発が既存の伝統を揺るがし、文化としての意味の追求が中心となる領域である。∵

(中略)

 意味の文明の兆候は、物質的欠乏から解放されて、人びとの主たる関心が所有から存在へ、物質から記号へ、欠乏から差異へと移行するなかにあらわれている。差異としての記号がもてはやされ、商品を物=差異=記号=意味の方程式によって脱物質化する消費社会の風潮は、現段階では差異のたわむれとしての意味志向にとどまるとはいえ、効率性と合理性が支配する経済の攪乱要因となっている。また現在、生産様式とそこでの人間関係が優位する機能の文明に対し、消費における意味作用がゆらぎを引き起こすようになっている。生産が優位した社会から消費社会への移行は、機能優先の発想に風穴をあけることになるだろう。

今田高俊『意味の文明学序説』より)

○■ / 池新