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課題集 ゲンゲ3 の山

○自由な題名 / 池新
○雪や氷、なわとび / 池新

★天文学者が宇宙の彼方を / 池新
 天文学者が宇宙の彼方を観測しているときに、宇宙のそこで生じている出来事に、脳は何ら関係していない。しかし、その出来事を天文学者が観測しなければ、つまりそこで天文学者の脳が関与しなければ、そんな出来事はヒトにとって、存在しないも同然と言ってよいだろう。宇宙論では、ある物理定数を測定と計算の結果確定すると、そうして定数を決定した宇宙と、決定する以前の宇宙とは、異なったものになるという考えすらある。むろん、定数を決定するのはヒトの脳である。
 ヒトが人である所以は、シンボル活動にある。言語、芸術、科学、宗教、等々。これらはすべて、脳の機能である。われわれはお金を使い、衣服や帽子、アクセサリーを身につけ、車にお守りを吊し、ゴルフ道具を担ぎ、碁やマージャンで暇を潰す。これらはすべて「具体化したシンボル」であるが、これもまた、すべて脳のシンボル機能に発する。
 われわれの社会では言語が交換され、物財、つまり物やお金が交換される。それが可能であるのは脳の機能による。脳の視覚系は、光すなわちある波長範囲の電磁波を捕え、それを信号化して送る。聴覚系は、音波すなわち空気の振動を捕え、それを信号化して送る。始めは電磁波と音波という、およそ無関係なものが、脳内の信号系ではなぜか等価交換され、言語が生じる。つまり、われわれは言語を聞くことも、読むことも同じようにできるのである。脳がそうした性質を持つことから、われわれがなぜお金を使うことができるかが、なんとなく理解できる。お金は脳の信号によく似たものだからである。お金を媒介にして、本来はまったく無関係なもの同士の交換が生じる。それが不思議でないのは(じつはきわめて不思議だが)、何よりもまず、脳の中にお金の流通に類似した、つまりそれと相似な過程がもともと存在するからであろう。自分の内部にあるものが外に出ても、それは仕方がないというものである。
 ヒトの活動を、脳と呼ばれる器官の法則性という観点から、全般的に眺めようとする立場を唯脳論と呼ぼう。ヒトが人である所以は、大脳皮質が発達するからである。後に述べるように、そこからヒトのシンボル機能が発生する。ヒトの脳と動物の脳が異なることは、誰でも知っている。ゴリラの脳とヒトの脳を机の上に複数個並∵べて見れば、素人でもただちに両者を識別するであろう。しかし、それはそれだけのことだとも言えるのである。つまり、ヒトの脳もゴリラの脳も、見ようによってはさして違わない。唯脳論は、ヒトとゴリラの類似と差異とを説明しようとする。
 それだけではない。唯脳論は、ヒトの中にある差異を説明しようとする。ヒトは考え方の違いをめぐって大喧嘩げんかをする。それが利害関係であるなら、まだ救いようがある。利害を調整すればいい。しかし、基本的な考え方の違いというのも、よくあることである。これは利害がかかわらないだけに、逆に調整が困難である。いわゆる「神学論争」というやつだが、その調整は唯脳論に頼るしかあるまい。

(養老孟司『唯脳論』による)

○■ / 池新