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課題集 ゲンゲ3 の山

○自由な題名 / 池新
○節分、マラソン / 池新
○父親と母親、お金 / 池新
★社会において / 池新
 社会において最も重要なのは、複数の人間を拘束する決め事をつくり出すことである。それにはいろいろなやり方がある。アメリカ人なら、その状況にあてはめるべき客観的ルールをそれぞれ主張して、どちらが正しいかを争うだろう。アメリカに限らず、近代西欧社会はルールに基づいて権利を主張する方法をとる。また中国人なら、最初に互いの利害を徹底的に主張したうえで妥協点を探すだろう。
 日本のやり方はそのどちらでもない。日本では決め事は、対立する利害を相互に自発的にゆずり合い、段階的に妥協点を発見していく形でつくり出される。「あなたの気持ちはわかる、だから私の気持ちもわかってくれ」「ここはゆずるからあそこはゆずってくれ、お互いに痛みはわかち合おう」。対立する立場にある二人が一歩一歩近づき、最終的な妥協に至る。日常の会話で、会社の会議で、そして政治の場面で、人々はこうしたゲームをくり広げてきた。
 西欧や中国のやり方と比較した場合、この方法は関係者の自発性をそこなわず、すみやかに意思統一できる点でたしかにすぐれている。だが同時に、ひとつ大きな構造的弱点をもかかえている。こちらがゆずったのに相手がゆずらなければ、ゆずったほうの丸損である。それでは妥協しようという気にはならない。こちらが譲歩すれば相手も譲歩するという保証があって、初めてこの決め事プロセスは一般的に成立しうるのである。
 実際、日本人と中国人が交渉する場面ではこうした齟齬が起きやすい。日本人のほうは相手の譲歩を期待してまず譲歩する。ところが、中国人の側から見れば、それは日本人側の立場の弱さを示す。だから、自分の利害をいっそう強く主張する。ところが、それは日本人にとっては、相手の好意につけこむという最も許しがたい振る舞いなのだ。そこで当然交渉はご破算になる。けれども、じつは話はここで終わらない。中国人にとっては、最初はゆずっておきながら突然強く出るのは、それこそ騙し討ちなのだ。
 こんな場面にぶつかったとき、日本人はこう叫ぶだろう。――「なんで人の気持ちがわからないんだ!」。まさにそのとおりで、じつは「気持ちのわかりあい」というのは、日本社会の社会的決め∵事をめぐるコミュニケーションにおいて、相互の譲歩を保証する「装置」なのである。相手の気持ちを察し、それを迎え入れるような形へこちらの気持ちも動く。相手の感情をこちらの感情のなかに取り込む。この種の感情の伝染性を日本人は大量にもっており、それによって相互の譲歩が保証されている。
 つまり「気持ちのわかりあい」は日本固有の社会的な決め方、社会的コミュニケーションの様式と密接に結びついているのだ。そうした点で、日本は「間人主義の社会」だといわれる。「間人主義」というのは西欧の「個人主義」に対応する概念で、(一)相互依存主義――社会生活では親身な相互扶助が不可欠であり、依存し合うのが人間本来の姿である。(二)相互信頼主義――相互依存関係の上では、自己の行動に対し相手も自己の意図を察してうまく応じてくれるはずだという相互信頼が必要である。(三)対人関係の本質視――いったん成立した関係はそれ自体価値あるもので、その持続が無条件に望まれる、といった人間関係の特徴をさす。

(佐藤俊樹『〇〇年代の格差ゲーム』より)

○■ / 池新