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課題集 ゲンゲ の山

○自由な題名 / 池新
○バレンタインデー、もうすぐ春が / 池新

★「坊っちゃん」はイギリスで(感) / 池新
 【1】「坊っちゃん」はイギリスでヨーロッパにおける個人の位置を見てしまった漱石が、わが国における個人の問題を学校という世間の中で描き出そうとした作品である。赤シャツは、あるとき坊っちゃんにいう。【2】「あなたは失礼ながら、まだ学校を卒業したてで、教師は初めての経験である。所が学校とふものは中々情実のあるもので、さう書生流に淡泊には行かないですからね。」坊っちゃんはそれに対して「今日只今に至る迄(これでいいと堅く信じて居る。【3】考へて見ると世間の大部分の人はわるくなる事を奨励して居る様に思ふ。わるくならなければ社会に成功はしないものと信じて居るらしい。たまに正直な純粋な人を見ると坊っちゃんだの小僧だのと難癖をつけて軽蔑する。【4】それぢゃ小学校や中学校で嘘をつくな、正直にしろと倫理の先生が教へない方がいい。いっそ思ひ切って学校で嘘をつく法とか、人を信じない術とか、人を乗せる策を教授する方が、世の為にも当人の為にもなるだらう。」と考えている。【5】「坊っちゃん」は学校という世間を対象化しようとした作品であり、読者は坊っちゃんに肩入れしながら読んでいるが、その実みな自分が赤シャツの仲間であることを薄々感じとっているのである。しかし世間に対する無力感のために、せめて作品の中で坊っちゃんが活躍するのを見て快哉を叫んでいるにすぎないのである。
(中略)
 【6】明治以降社会という言葉が通用するようになってから、私達は本来欧米でつくられたこの言葉を使ってわが国の現象を説明するようになり、そのためにその概念が本来もっていた意味とわが国の実状との間の乖離が無視される傾向が出てきたのである。【7】欧米の社会という言葉は、本来個人がつくる社会を意味しており、個人が前提であった。しかしわが国では個人という概念は訳語としてできたものの、その内容は欧米の個人とは似ても似つかないものであっ∵た。【8】欧米の意味での個人が生まれていないのに社会という言葉が通用するようになってから、少なくとも文章のうえではあたかも欧米流の社会があるかのような幻想が生まれたのである。しかし、学者や新聞人を別にすれば、一般の人々はそれほど鈍感ではなかった。【9】人々は社会という言葉をあまり使わず、日常会話の世界では相変わらず世間という言葉を使い続けたのである。この点については特に知識人に責任がある。知識人の多くはわが国の現状分析をする中で常に欧米と比較し、欧米諸国に比べてわが国が遅れていると論じてきた。【0】たとえばカントの「啓蒙とは何か」という書物の中で、上官の命令が間違っていた場合に部下のとるべき態度が論じられている。上官の命令が間違っていると考えた場合でも、部下はその命令に従わなければならない。さもなければ軍隊は成立しないからである。しかし軍務が終了したとき、その部下は上官の命令の誤りを公開の場で論じることができるとカントはいう。そしてその場合彼は自分の理性を公的に使用しているのだというのである。
 日本の事情を考えてみよう。ある会社員が会社の経理やその他に不正を発見して、それを公的な場で指弾した場合、彼は間違いなく首になるであろう。そしてもしそのことが公的に論じられるようなことが起こった場合、彼の行動が公的な理性に基づくものだという者が日本にいるだろうか。
 このように考えてくると、問題の一つは、わが国においては個人はどこまで自分の行動の責任をとる必要があるのかという問題であることが明らかになろう。それはいいかえれば世間の中で個人はどのような位置をもっているのかという問いでもある。
 日本の個人は、世間向きの顔や発言と自分の内面の想いを区別してふるまう、そのような関係の中で個人の外面と内面の双方が形成されているのである。いわば個人は、世間との関係の中で生まれているのである。世間は人間関係の世界である限りでかなり曖昧なものであり、その曖昧なものとの関係の中で自己を形成せざるをえない日本の個人は、欧米人からみると、曖昧な存在としてみえるのである。 (阿部謹也『「世間」とは何か』)

○I think it was Conrad Hilton / 池新
I think it was Conrad Hilton who first had the idea that travel would be greatly improved if as much of it as possible were spent in familiar surroundings. Faraway places with strange-sounding names are all very well, provided there are scrambled eggs for breakfast, air-conditioning, toilets that work, and people who speak English, even if they speak it with a curious accent. What the weary traveler needs after being up to his neck in foreigners all day is a drink with plenty of ice, a straightforward dinner menu that doesn't require all interpreter, a decent bathroom and a king-sized bed. Just like home.
The Hilton theory was, as everyone knows, a worldwide success. And this was for one very simple reason: even if you didn't always know where you were, you always knew what to expect. There were no surprises. A few touches of local color would creep in from time to time -- mangoes instead of orange juice, waitresses in sarongs instead of skirts -- but for the most part it didn't really matter whether you fell asleep in Tokyo or Mexico City. There was a certain standardization about the board and lodging that provided comfort and reassurance and familiarity even in the heart of the most exotic locations.
If the idea had stopped there -- as one among many travel options -- it would have been fine. Unfortunately, it proved to be so popular that it was adopted by one hotel chain after another, with varying degrees of local camouflage designed to add personality to a multi-national formula. With loud protestations that they were preserving the special character of each hotel they bought up, the new owners standardized everything that could be standardized, from bathroom fittings to color schemes, until the only sure way of knowing which city you were waking up in was to consult the phone directory as soon as you got out of bed.