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課題集 ガジュマロ3 の山

○自由な題名 / 池新
○個性、勉強の意味 / 池新
○ローカリズムとグローバリズム、バブル / 池新
○しかし、記事の生命は / 池新
 しかし、記事の生命は真実である。それに可能なかぎり接近するためには、膨大な取材が必要だ。取材は、もちろん相手の都合が最優先する。こちらの時間に合わせてくれるなどと思わないほうがいい。相手は、なにも記者に語る義務はない。もし、向こうから情報をもってやって来たら、利用されるのではないかと、逆に用心しなければいけない。そういう世界なのだ。昼間は多忙な政治家や財界人を追っかけるには、夜討ち朝駆けとなる。労多くして得るところ少ないことは、分かっている。だが、この積み重ねなくして信頼できる紙面はできない。
(中略)
 後輩記者が当時の実力者金丸信の担当を命じられた。だが、新米記者とあってなかなか相手にしてくれない。あるとき大雪になった。金丸は富士五湖の山荘にいるという。彼は吹雪のなかを山荘に到着した。金丸は感激した。おい、いつでも来ていいぞ。以来、彼にとって金丸は重要な情報源となった。「だから政治記者はいつまでも政治家べったり、お涙頂戴なのだ」という批判は甘んじて受ける。だが、重要な政治情報が一部の政治家に独占されている時代にあっては、こうした取材も必要だった。
 政治部記者の取材の対象は、どうしても政治家・高級官僚・財界首脳といった国の上層階層になる。その情報はすべて政治部デスクに集約され、繰り返し比較検討され、補足取材され、真実へ向けてしだいに一本化され、紙面化されていく。これまで、一般の人びとの視点がそこに入りこむ余裕はなかった。こういう取材と紙面化の仕組みをここでは「政治部中核型構造」と呼ぶことにしょう。
 この政治部中核型構造が問題にされなければならないのは、政治家密着型・夜討ち朝駆け型の身を粉にして働く記者の生活スタイルではない。問われているのは第一に、この構造のもとで得られた情報が国民の知る権利にこたえる形で読者に還元されたか、である。第二に、なるほどこの構造は上層部の極秘情報の取得に大きな成果をあげただろうが、半面、それが結果的に日本の政治の古い体質を助長したのではなかったか、ということである。∵
 こうした反省が出てきたのは八〇年代後半から九〇年代にかけてだった。有権者の政治離れが加速していった時期である。政治への失望は、政治部構造が生み出す政治部中核型の紙面への失望でもあった。有権者が政治を見限るということは、その一端を担ってきた政治記事をも見限ることだった。しかし、私たち政治部記者の多くは当時それに気づかなかった。政治離れは政治が悪いから起きる、と思いこんでいたふしがある。その間に政治離れと新聞離れは密接にからみあい並行して進んでいたのである。読者の新聞離れを加速させた主因の一つは政治部中核型の紙面づくりにあった、ということは認めざるを得ない。
 九八年の朝日新聞読者調査によると、「党利や派閥に関する記事は読みたくない」という回答が多く、「いちばん読みたくない記事は自民党の派閥に関するもの」というのもあった。半面、「客観的事実だけではなく、背後にどういうことがあったか、それがどういう影響を国民にあたえるか、きちんと書いてほしい」「政治が決める数字が生活にどう影響するか、シミュレーションをまじえて解説してもらいたい」といった希望が多かった。質の高い政治記事なら必ず読者は戻ってくることを確信させる。

(中馬清福『新聞は生き残れるか』による)

○■ / 池新