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課題集 ガジュマロ3 の山

○自由な題名 / 池新
○ゴミ / 池新

○日本文化が外国語の文献の / 池新
 日本文化が外国語の文献の翻訳に負うところは、まことに大きい。私は今翻訳の歴史を三期に分けて、そのことを考える。
 翻訳の第一期は、中国の古典の読み下しの時期である。この独特の翻訳法は、平安時代から行なわれて江戸時代に及んだ。中国語の語順を変え、日本語の助詞と語尾変化を加え、一部の単語は訳し「訓読み」、多くの単語はそのまま外来語として採用する「音読み」。どうしても多数の中国語の概念を輸入する必要があって、それに相当する日本語の語彙がかぎられているという条件の下では、おそらくそのほかに解決の手段がなかった。
(中略)
 第二期は、明治以後およそ百年、西洋語からの翻訳の時期である。そのとき、法体系から科学技術まで、西洋の概念の輸入は、「近代化」のための急務であった。そういう事情は、必ずしも日本の場合にかぎらないが、明治の日本の特徴は、西洋から概念を輸入するのに、西洋語をそのまま外来語として用いず、ほとんどすべての語を翻訳したということである。中国語の読み下しを始めたときとはちがって、すでに日本語には豊富な語彙があり、しかも必要に応じて新語を作る力があった。
(中略)
 翻訳の第三期は、今日から将来へかけてであり、そこでの問題には二面がある。日本語への翻訳と日本語からの翻訳。今までのところ、古典中国語または西洋語以外の言葉から日本語への翻訳は、したがってかぎられていた。今後補うべきものは、技術的先進国以外の地域の文化への関心であり、したがってその文献の翻訳であろう。たとえば、アラビア語の地域にあるのは、石油だけではなく、今日まで外部に知られることの少なかった学問と文芸の宝庫である。日本語への翻訳の対象は、西洋語文献の外に、はるかに拡大されなければならない。
 日本語からの翻訳の読者は、もちろん、日本人ではない。しかし日本語からの翻訳に、日本人が関心をもち得るし、またもつべき理由は、いくつかある。第一、日本人が日本人のことだけを心配して∵いるのは、鎖国心理にすぎない。いくらか他人の便宜も考えるのが、天地自然の理に適うだろう。日本語文献の――科学技術から日本人による日本批判までを含めてのそれの――国際的な言語への翻訳は、多くの他国人のために役立つはずである。第二、日本国の対外関係が、経済的な面にかぎられたままで、長く安定するだろうとは想像し難い。政治的にはアメリカ追随、文化的には沈黙ということで、もうけるだけもうけられる時代は終りそうである。第三、日本人の表現・意見・知識などを知りたければ、日本語を覚えたらよかろう、という説は、事の一面を指摘するだけである。もし日本語を覚えようとする他国人の増加する条件があるとすれば、それ以上に日本語からの翻訳を求める読者の増加する条件があるにちがいない。日本語は孤立した言語である。言語学的に孤立しているから、たとえば英語国民がフランス語を覚えるように日本語を覚えることはできない。歴史的社会的に孤立しているから、かつての植民地帝国の言葉「英仏語」のように、アフリカやインドやオーストラリアで、日本語が話されることはない。日本語は日本人だけが話し、他国人にとっては習得の比較的困難な言葉の一つである。したがって日本語からの翻訳の必要は大きく、翻訳の仕事はまた日本側からの努力を必要とするのである。努力の内容は、翻訳の技術的な面にも係わり、大いに経済的な面にも係わる。しかしそのいずれの面についても、その意志さえありば、原則として克服できない障害はないだろう。

(加藤周一『翻訳のこと』による)

○■ / 池新