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課題集 ニシキギ3 の山

○自由な題名 / 池新



○時計をみると、 / 池新
 時計をみると、塾のはじまる時刻まで、まだ一時間半ほどあった。ゆたかは、道路脇の小さな公園を歩いた。公園の中に人影はなかった。ベンチに腰をおろしたとき、キー、キーと鳴く声が耳につき、目をやった方に、小さな段ボール箱がおかれていた。段ボール箱の中をのぞくと、やっと歩けるようになった子猫が二ひき、箱の中を動きまわっていた。
 その段ボール箱には「ほけんじょへつれていってころされます。だれかひろってください」と、おさない文字で書かれていた。その字から、小学校の低学年の子供が書いたのだと分かり、ゆたかは、このままだと、保健所につれていかれて殺されてしまうだろう子猫たちを、小さな子が、助けようとして捨てたのだと思った。助けたいと思った。そう思ったとき、お父さんが動物ぎらいなのを思いだした。ゆたかは、赤毛の子猫を手にとってみた。子猫はゆたかの手に小さな爪を立ててキー、キーとはげしく鳴いた。ぱっちり開いた目もかわいかった。
 赤毛の子猫をおいて、白ぶちの子猫を手にのせてみた。白ぶちは、手にしがみつくように爪をたて、こきざみに震えながら、何かをうったえかけるように鳴いた。その見開いた目が、たまらないほどかわいかった。つれて帰りたいという思いがふくらむにつれ、ゆたかの中で、お父さんの顔が大きくなった。だれかがひろってくれるだろうという気持ちがおき、ひろわれなければ死んでしまうだろうという思いとせめぎあっていた。それは、お父さんと、目の前で助けを求めている子猫たちの顔をしてゆたかを苦しめた。
「だれかが助けてくれるさ」
 お父さんの顔に、しつぶされそうな思いで、子猫たちに話しかけたとき、胸が痛んだ。目に浮かびかけた涙をこらえて立ちあがったとき、カラスが一羽、子猫たちの真上の木の枝にとまった。カラスの目が子猫たちを狙っていた。ゆたかは、小石をひろって、カラスに投げつけた。木の枝に小石がぶつかる音といっしょに、カラスが飛び立ち、そのまま、公園のすみっこに降り立った。
 ゆたかは、そのカラスめがけて、また石を投げつけた。何度も、∵何度も石を投げつけた。石を投げるたびに、カラスは逃げるが、公園から去ろうとはしなかった。
「このままにしたら、あいつに食べられる……」
 そんな思いがよぎったとき、ゆたかは、何も考えず、子猫たちの入った箱をかかえ上げた。そして、まつわりついてくるお父さんの顔を、押しのけるように、家路をたどった。
 人通りがまばらになった暗い通りに、ひとかたまりの子供らがあふれだし、それぞれの家路へと散らばっていった。最後に教室をでたゆたかは、そのようすを見ながら、塾の階段を降りた。
 早く帰りたいという思いがあり、足のすくむような思いもあった。納屋にかくした子猫のことが気になり、見つかっているだろうという不安が、お父さんの顔といっしょになって、急ごうとする気持ちにからみついてくる。あんなところにかくしていても、鳴き声を上げれば、だれだって気がつく。ずっと静かにしていてさえくれれば……。
 大きな通りにでたとき、車の流れる音が急に大きくなった。夜の大通りは、まるで光の洪水のようだ。信号が変わり、光の洪水がせき止められた。いく人かの歩行者が、横断歩道の上ですれ違った。横断歩道を渡って、しばらく歩いてから、車の洪水のはじまった音が背中にひびいた。
 ゆたかは、子猫が見つけられていたときの方策を、あれこれ考えながら歩いた。飼ってくれと言っても、それはむりだと分かっていた。引き受けてくれそうな友だちの顔をいろいろ浮かべ、もらってくれる人があらわれるまで、飼っていてほしいとたのむことしか残されていないような気がした。そう思って浮かべる友だちや、同級生の女の子の顔が、なぜか、いつもより、とっつきづらくよそよそしかった。
 家が近づくにつれ、めぐらせる思いの何もかもが重たくなり、足も重たくなった。玄関の前までもどってきたときには、ただ、見つかっていないかもしれないということだけが、気持ちのささえだった。
(笹山久三「ゆたかは鳥になりたかった」)