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課題集 ニシキギ3 の山

○自由な題名 / 池新

○おかしかった思い出、わたしの好きな勉強 / 池新

○「ごみゼロ社会」は / 池新
 「ごみゼロ社会」は企業が行動を改めさえすれば実現するかのように受け取られるかもしれません。しかし、そう単純ではありません。
 私たち一人ひとりはこの社会の中でいろいろな顔をもっており、どの顔もひとりの人間の真の姿です。政治的な顔は、国民・市民としての立場から主権者として政治にかかわることです。生産者としての顔は、職業・仕事をとおして経済活動にかかわることです。生活者としての顔は、ものやサービスを消費しながら、教育・文化や趣味・リクリエーションにかかわり成長していくことです。こうしたいろいろな側面が私たちのなかに重なりあっています。人によって、また年齢によって、ある部分が大きくなったり小さくなったりしますが、こうした多面的な視点から対象をトータルに見ていくことが必要です。
 暖房や冷房がききすぎている乗物やオフィス、歯磨き・洗顔・調理のときの湯水の流しっぱなしや、テレビ・電気のつけっぱなし、メーカーからのエコロジーメッセージに気づかず、値段と見栄えと便利さで商品を選ぶ買い物、公共輸送機関が利用できるのに車を使うこと……。私たちにとって身につまされることばかりです。いままであたりまえのこと、よいと思っていたこと、まわりの人も同じようにしていることを、自分の意見で変えていくわけですから、なぜそうしようとするのかについての知識が必要ですが、日本人とか○○会社の社員としてではなく、地球人としてのセンスが必要です。
 ここで、ケチとぜいたくについて考えてみましょう。ケチとかぜいたくとかいうことは、ものが少ないとき、ものがあっても買うお金がない時代、逆にいえば、だれもがものを持ち、お金を使うことを渇望しているときの言葉です。ある人がどんどんものを買い、お金を使うのをみてうらやむときに「ぜいたく」といいます。しかし、地球はいま、もの余り・金余りの人間によって痛めつけられているのです。オイルショックのとき、もの(資源)が枯渇するとい∵われましたが、そうかんたんにはなくならないことがわかってきました。地球にはまだものがいっぱいあります。お金も先進国には十分あります。とくに日本は余っています。
 地球、とくに先進国ではいま、ものが余っています。つまり、ケチとぜいたくという言葉の社会的基盤がなくなってきています。そういうときに、この言葉のもつ概念にしばられている人は時代遅れということになります。いま地球に不足しているのは、ものではなく、ものの入れもの、資源を使いごみにしたときのごみの捨て場(地球環境)です。先進国、とくに日本に不足しているのは、お金ではなくて地球を救うための知識とセンスです。
 ものをどんどんつくり、使い捨てにする一方で、なんでもお金で解決しようとする日本人は、自らのことを日本語で「ぜいたく」と称しても、それは本人の勝手ですが、じつは地球語に翻訳するとそれは「ケチ」ということになってきます。ものを大切にし、できるだけごみをつくらないようにする人、そうなるように智恵を出す人、汗を流す人が、地球語では「ぜいたく」な人なのです。
 地球環境を大切に守りながら子孫に伝えていくことに異存のある人はいないでしょう。問題は自分自身でそれを理解し行動していくことです。あなたがいま、この本を読んでいるその瞬間にも、たえずまわりに捨てつづけている「ごみ」をとおして、生活を見つめ直していくことが大切です。そのときのキーワードは、地球語の「ぜいたく」なのです。

八太はった昭道あきみち「ごみから地球を考える」)