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課題集 ネコヤナギ3 の山

○自由な題名 / 池新
○ひなまつり / 池新
★料理を作ったこと、初めてできたこと / 池新

○学校で先生は / 池新
 学校で先生は「あなたの意見は?」というでしょう。お化粧ひとつにしても、洋服ひとつにしても、流行を追うのはおろかですよ、自分にあったお化粧をしなさい、自分にあった服を着なさい、自分がたいせつですよと先生はいうでしょう。
 しかし会社にでると、みんな自分というものを中心にするのではなしに、会社に、みんなに、あわせようという具合になるのがふつうです。
 だが、このような事なかれ主義、個性のなさだけでよいでしょうか。世の中を良くしようとする人は、しばしば異端の考えの持ち主の中から生まれるのではないでしょうか。一例をあげましょう。
 アメリカの自動車会社、GMの小型車コルベアは、しばしば事故をおこしました。車が高速でまがるとき、うしろが浮きあがり、まがりきらず事故をおこすのです。やがて、この車には設計上のまちがいがあり、その原因は、少しでも安くしようとして材料を節約した点に問題があることが指摘されました。このことは、この車をつくっている人、したがってこの車をよく知っている従業員の指摘によって明らかになったのです。もしこうした指摘がおくれたら、さらに多くの人が事故にあったでしょう。だが、こうした指摘が従業員からでないような会社だったらどうなるでしょう。
 日本では、おなじようなことをいった従業員に、「そんなことをいうのは会社を批判することで、われわれの敵だ」という目が会社の中から生まれ、現に、自動車会社にいられなくなったすぐれた技術者がいます。
 会社のためよりもっと重要なことがあったとき、会社第一と考え、ほんとうのことをいわず、かくしやすい――こうしたゆがみが日本の会社にはないでしょうか。
 このような日本的な社会の中にいる人間は、それに合うようなことばを使います。みなさんの使っている日本語と、学校でならう英語とをくらべてごらんなさい。英語は文章のいちばんはじめに、なにがきますか。主語がきます。「私が」とか「あなたが」というのがきます。なにかをするその責任の所在は、まず「?」なり「Y∵∵ou」なり、はっきり主語として、いちばんはじめにでてくるのが特徴です。
 そのつぎに、その問題に賛成なのか反対なのか、イエスかノーかというのがきます。ですから英語を聞くと、はじめのところを聞いていると、だれがどういう意志をもっているかがだいたいわかります。
 しかし、日本語はそうではありません。たいてい主語がないでしょう。そして、イエスかノーかというのはまえにきません。文章のいちばん最後にくるのです。
 会議のときなど話をしているうちに、みなが反対だなということが顔色でわかると「……というような考えもあるんだが、まずいですねェ」なんて、きゅうに方向転換することができることばです。
 つまり、相手とちがう考えをだすことはたいへん失礼だし、おたがいの関係をまずくする。なにしろ大部屋のなかにいっしょに住んでいるのですから。
 そこで、相手と自分とがおなじような考えになるようにし、相手も傷つけない、自分との関係もひびがはいらない――そういうようにもっていく習慣や考え方が、ことばの構造の中にもはいってくるのです。賛成か反対かをいちばん最後にもっていくという、世界にも珍しい日本語がこうした習慣に対応しているのです。
 中国語だって英語とおなじことばの構造で、賛成か反対かを示すことばが主語のつぎにきます。日本語は主語がはっきりしません。責任の所在をまずなくし、賛成か反対かをいちばん最後につけて、どうにでもかえられるということばの構造になっています。
 ですから、問題がおこったときどうするかというと「私は自分の責任をよくよく考えて、こういう結論に達しました」ということはしないのです。なにが正しいか、なにがいいか、それよりもみんなはどう考えるであろうかを考えるというのが多くの日本人です。そして顔色を見ながら、いつでも方向転換できるようなことばの構造をさぐりながら、最後でみんなが一致するようにもっていく。これです。ボスといわれている人間はこれをやるのです。
 佐藤栄作という、ひじょうに長く総理大臣をつとめた人がいま∵す。この人は、自分で決定を下すことがなかったといわれています。
「他からすすめられた形をとりたい」
 これが佐藤さんの名文句と伝えられています。自分できめたら自分が責任をとらなければなりません。それは団結をみだすことになります。なぜなら、反対意見の人がいるかもしれないからです。
 ある事件がおこった。みなの意見がとうぜん対立する。しかしボスは自分の意見をいわない。いえば、反対の人を敵にまわすことになる。そこでなすがままにまかせる。たとえば、外国との貿易で、一ドルが三百六十円であったのを三百円にするか、それとも三百六十円のままかという問題です。佐藤さんはきめないのです。世界経済は一九七一年八月十五日から混乱し、この問題で大さわぎになったとき、軽井沢に逃げてしまったのです。東京にいれば、首相として自分がきめ、自分が責任をとらなければならないからです。
 現実はどんどんすすんで、とうとう反対もなにもあったものではなく、三百四十円、三百二十円と動いてしまいました。もうやむをえない、これを認めるより道がないという、そういうところまで追いこまれて、みんなの意見がまとまり、さあそうするかというところまで待って佐藤さんは山をおり、これを認めました。したがって反対はおこりません。これが、佐藤さんが日本でいちばん長い年月総理大臣をつとめた秘訣だといわれています。
 もしまちがっていたならば、みんながきめたのですから、一億総ざんげ、けっして佐藤さんの責任にならないのです。
 しかし、佐藤さんのような行動をしていると、なにもないときはいいのですけれど、重大な問題がおこったとき、それにたいして、はやく手をうち、事態を危険のない方向にもっていくということができないのです。
 だれが戦争をするということをきめたかわからないうちに、いつの間にか中国との戦いがはじまり、ずるずる拡大し、日本はあの敗戦を経験したのではないでしょうか。そして、戦争の責任というこ∵とになると、みんなが悪かったのだといって、だれも昔のあやまちを反省しようとしないのです。
 したがって日本の社会のくさった部分、悪い部分、それを切り取ることもできませんでした。おなじ戦争をし、敗れたドイツは、まったくちがいます。戦争をひきおこした責任者がいたのです。ヒットラーを中心とするナチスです。したがってその責任を追及し、くさった病の部分を取りのぞく。いまもってドイツはこのナチスの協力者を裁く裁判所をもっているのです。だから新しく生まれかわることができたのです。
 日本は、いつまでたっても仲良しクラブの中で、責任もはっきりせず、病もはっきりせず、くさった部分をそのままにしながら、みんな肩をくみながら動いている。これでいいのでしょうか。
 小学校や中学校の先生は、自分の意見をいいなさいとみなさんにいったでしょう。それは、こういう病を取りのぞくことができるような人間に、みなさんをしたいと思っているからにちがいありません。

(伊東光晴「君たちの生きる社会」)