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課題集 ネコヤナギ3 の山

○自由な題名 / 池新
○バレンタインデー、もうすぐ春が / 池新


★小学校の中学年の頃、 / 池新
 小学校の中学年の頃、僕はがき大将で毎日近所のちびっこたちを引き連れて遊び回っていた。縄張り意識が強くて、僕らは自分たちの町内をその統治下においていた、つもりだった。放課後になると、裏山に作った基地(斜面に生えた大木の枝に板切れや鉄材をくくりつけて作った掘っ建てだった。)に集まっては、攻めてくるかもしれない敵を想定して、僕らは石投げの訓練を積んでいたのだ。
 はじめてあの新聞配達の少年を見たのは、その基地を建設しおわった直後の頃のことである。見張りに立っていた弟が大声で僕を呼んだのだ。
「兄貴、なんか変なのが走りよう。どがんする。」
 僕は弟の指さすほうを見た。肩から新聞をぶら下げた少年(多分小学校の高学年か、中学の一年生ぐらいだと思った。)が、一軒一軒の家に新聞を放り込みながら走っているのである。新聞配達の少年の存在は知っていたのだが、こうやって意識してまじまじと見るのは初めてのことであった。彼は僕らが見守る中、背筋を伸ばしてすっと下の道を通り過ぎていってしまったのである。
 翌日も彼は同じ時刻にそこを通過していった。やはり肩から吊るしたたすきに新聞を山盛り入れて、彼は一軒一軒にそれを放り込んでいくのだ。僕はその姿に何か心を動かされていたのだが、沢山の子分たちの前で彼を褒めるわけにもいかず、つい心にもない行動をとってしまうのである。
 そう、僕は彼目掛けて石を投げつけたのだ。
「皆、あいつは敵たい。敵のスパイに間違いないったい。」
 小さな子供たちは僕の言うことをすぐに信じて、同じように彼目掛けて石を投げつけはじめたのだ。新聞少年は投石に気がつき、立ち止まると僕らのほうを一瞥した。しかし、石を避けようともせずじっと僕らのほうを睨みつけるのだった。幾つかの石が彼の足に∵あたったが、彼は逃げようとはしなかった。
「やめ。」
 それに気づいた僕はちびっこたちに石投げをやめさせた。子供たちは石を投げるのをやめ、僕の次の命令を待っていた。僕と新聞少年はそのとき初めて対峙して睨みあった。鋭い目をした強そうな男だった。僕たちが黙っているとまもなく彼は走りだすのである。
 それからもときどき僕らは彼を見つけては威嚇攻撃をした。そのたびに彼は立ち止まりじっと僕らを見すえるのだった。その目は鋭くかつて見たことのない動物的なものだった。
 新聞配達という行為が悪いことではなく、むしろりっぱなことであることはあの頃の僕でもちゃんと理解はしていたつもりであった。僕だけじゃなく、弟やちびっこたちもちゃんと知っていたはずだ。なのに僕が彼に石を投げたのは、多分彼の存在が気になっていたからなのだろう。新聞を少年が配達するということが一体どういうことなのか、僕はすごく興味があったのだ。
 それから少しして、僕らが社宅の門のところでたむろして遊んでいると、彼が突然門の中へ走り込んできたのである。がっちりとした身体をしていて、僕より五センチは背が高かった。僕は直ぐに彼と目が合い、睨み合ってしまった。そのとき、ちびっこの一人がいつもの調子で彼に向かって石を投げつけてしまったのである。石はそれほどスピードはなかったのだが、少年のひたいにあたってしまった。そして少年はそのときはじめて僕らに抗議をしたのである。
「何で石ば投げるとや。俺がなんかしたとかね。」
 身構えるちびっこたちを僕は慌てて制した。そして少し考えてから聞き返した。
「なんばしよっとね。」
 僕は新聞のつまったたすきを指さして聞いてみた。
「新聞配達にきまっとろうが。」
「そうやなか、なんで新聞ばくばりよっとか知りたかったい。」∵
 僕は彼にぐいと睨みつけられて怯みそうだったが、ちびっこたちに示しがつかないのでじっと(えていたのである。
「なんでって、お金んためにきまっとろうが。お金ば稼いで、家にいれるったい。うちはお前らんとこみたいに裕福やなかけんな。」
「ゆうふく?」
 弟が横から口を出してきた。
「ああ、うちは貧乏やけん、長男の俺が働いてお金ば稼がんとならんとよ。お前らみたいに遊んでるわけにはいかんっちゃ。」
 彼のその言葉は僕の胸にびんびんと響いた。自分のことを貧乏といいきる彼がなぜか自分たちとは違う大人に見えたのだ。
「わるいけどな、これからは俺の配達のじゃまばせんどいてくれんね。もし、邪魔するようだったら、こっちも生活がかかってるけんだまっちゃおかんばい。」
 彼はそう言うと石を投げつけたちびっこを押しのけて新聞を配りはじめるのだった。
 僕は何故かいいようのないショックで、それから数日考え込んでしまった。僕は昔から考え込むタイプだったようだ。あのとき僕は新聞配達の少年を実は心の何処かで尊敬していたのだと思う。自分を彼に投影しはじめていたのだ。
 それから数日して僕は社宅の門のところで彼を待ち伏せすることになる。子分たちは引き連れず、僕ひとりであった。そして夕方、いつもの時間に彼は新聞を抱えて走り込んできたのである。
「よう。」
 彼は僕を見つけると、そう声をかけてきた。
「今日はぞろぞろいないのか。子分たちは。」
 僕は大きく頷いた。
「今日はちょっとさしで話があるったい。」
「なんね。」
 新聞少年は眉間をぎゅっと引き締めて僕の顔をまじまじと覗き込んだ。僕は唾を呑み込んだ。∵
「実はあれから真剣にかんがえたっちゃけど。俺も新聞配達やらしてくれんかとおもうてさ。」
 新聞少年の顔がほころんだ。
「君がや。」
 僕は真剣な顔つきで頷いた。
「だめやろか。」
 新聞少年は首を振る。
「いいや、でもお前が考えているよりずっと大変なことたい。そんでも途中で投げださんで続ける自信があるっちゅうなら、話をつけてやってもよかたい。ただな、いい加減な気持ちでやるとやったら、俺がゆるさんけんね。」
 僕は彼にはじめて微笑んだのである。
 そしてその日の夕方、僕は彼に連れられて近くの新聞の集配所に行ったのである。初めての経験で僕はすっかり緊張していた。集配所は活気があって沢山の少年たちで溢れていた。みんなたくましく真っ直ぐの目をした連中ばかりであった。僕は彼に仕事の段取りを説明されながら暫くその場を観察していたのである。それから僕は彼に紹介されたそこのボスにお辞儀をした。ボスは笑顔のたえない人で、一言、がんばるんだよと言っただけだった。しかし、その言葉はかつてどんな大人たちが僕にかけてくれた言葉よりずっと僕を大人として扱ってくれるものだった。そして僕は次の週頭から新聞を配ることになったのである。僕が自分で決めた初めてのアルバイトであった。
 しかし、結論からいえば、僕は次の週頭から新聞を配ることはなかったのである。その晩、僕は食事の席で両親にその事を、やや自慢するように言ったのだが、突然、父親に怒鳴られてしまうのだ。
「俺はお前にそんな苦労をかけさせているのか。貧しい思いをさせているのか。」
 母は黙っていた。僕は褒められるだろうと思っていたので、父の∵怒鳴り声は予想外の出来事だったのだ。何時だったか勤労少年のドキュメンタリーテレビをみながら父が目頭を濡らしていたのを僕は見て知っていたから、彼のその行動はまったく理解することができなかったのである。そして余りの剣幕に僕は逆らうこともできなかった。
 結局、僕の母が次の日新聞の集配所に出向き、僕の初めてのアルバイトは夢と消えることとなった。父は体面を気にしたんだ、と僕は後で考えた。新聞を背負わせて小さな子供を働かせていると、同じ社宅の人たちに何と思われるか分からなかったからだろう。
 そして僕は次の日から新聞配達の少年をさけるようになるのである。

(辻仁成「新聞少年の歌」)