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課題集 ネコヤナギ の山

○「飽和化市場」という/ 池新
 「飽和化市場」という言葉がある。いろいろな商品の普及率がもう限界のところまできている消費市場をあらわす言葉だ。たいていのモノはひととおり行きわたった、という状態である。
 飽和化市場の特徴は、いままでもっていた製品から新しいものに買いかえていく需要は多いが、市場全体が成長していく力はもう限界のところまできている、という点だ。
 そのため、売り手側としても、いままでと同じような売り方では商品が売れない。そこで、それぞれ独自の商品を開発したり、新しい売り方を考えたり、これまでとはちがった分野へ進出したりと、あらゆる手を試みる。ここまでに紹介した販売方法の工夫だとか、競合商品にはない独自の機能やデザインの開発などといったことも、こうした市場があふれている。
 たとえばモノ。すでに述べたように、ヘッドホン・ステレオ一つ取りあげても、似かよった商品がたくさんのメーカーから発売されている。たくさんの商品のなかから、きみは一つの商品を選んで購入するわけだ。そのためにカタログを取りよせたり、お店の人の話を聞いたりして情報を集め、比較した上で決める。
 つまり、きみの前には、とてもたくさんのメニューがあり、そこからある一つを選択するというわけだ。
 サービスという商品を購入する場合も同じだ。
 外食の代表といえるファースト・フード。あるチェーン店で新しいハンバーガーが登場したと思ったら、すぐに別のチェーン店にも似たようなメニューがつけ加えられる。もちろん、「一味ちがった」商品としてだ。
 ここでもきみは、さまざまなお店のさまざまなメニューのなかから一つのサービスを購入するための選択をすることになる。
 新しい商品やサービスが市場にでるまでには、売り手側の「商品差別化戦略」がおこなわれている。消費者側の情報を得るための調査、その情報をすぐに利用できるように蓄積したデータベースの作成、テレビやイベントをとおしての宣伝・広告・商品を効率よ∵く売るための仕掛けなど、売り手側の努力はこれまでみてきたとおりだ。
 だから、きみは、売り手側の商品差別化戦略という大きな「仕掛け」をかいくぐって、たくさんのメニューから一つを決め、選択するのである。これは、とてもたいへんなことなのだ。
 たしかにメニューはたくさんある。
 だが、それは、メニューがいまほど多くなかったときにくらべて、よりよい選択ができるということなのだろうか?
 ちがいをうたって登場した商品は、すぐに似た商品が登場することで、ちがいの部分がなくなってしまう。きみの「ステイタス」にふさわしいはずの独自の商品が、すぐにその独自性を失ってしまう。イタチごっこみたいなもので、ちがいはますます細分化し、たいした意味をもたなくなってくる。
 たいした意味のない「ちがい」を選ぶためにたくさんの商品が用意されているのが、はたしてほんとうに豊かなことなのだろうか。わたしたちは、そんな「幸せ」を求めてきたのだろうか。何度でも自問してみる必要がありそうだ。
 おびただしい商品にかこまれて毎日暮らしているわたしたち。わたしたちが生活すること=消費することである。住宅、家具、食品、衣服、電気製品、新聞、書籍、日用雑貨といったモノから、電気、ガス、交通手段をはじめとするサービス財まで、日々消費しつづけているのだ。
 そのわたしたちの多様な消費が、ふたたび多様な生産を促す。
 そして新しく生産された生産物が、消費者であるわたしたちに、また新たな欲望をひきおこす。
 こうして生産と消費が循環しながらふくらんでいくのである。しかも、売り手と買い手のどちらも、先がみえていないときているのだ。
 こうした生産と消費のくりかえしのなかで、地球資源は減少をつづけ、生産にともなう排出物や消費生活からでる廃棄物などによって、環境汚染がすすんでいる。それも、地球的な規模でおこ∵っているのである。
 気をつけなくてはいけないのは、地球環境を汚染しているのは、生産をしている企業側だけではない、ということだ。汚染に責任があるのは、買い手であるわたしたちも同じだ。生産をささえている消費者側の責任も大きい。
 つまり、わたしたちは他人とのちがいを示すために地球資源をつかい、環境汚染物質を排出しつづけている可能性をもっているわけだ。もしそうだとしたら、わたしたちは、自分たちの消費のあり方そのものを問いなおさなくてはいけない。
 たとえば、わたしたち日本人がふだん食べているエビ。
 日本人のエビ消費は、この三十年間に六倍以上になり、売り上げは一兆円をこえたそうだ。世界最大のエビ消費国だ。そのほとんどは東南アジアからの輸入によっている。エビの稚魚は、東南アジア各地にひろがる広大なマングローブの沼地で育っており、そのエビを捕獲するために大型船もはいっている。そのためエビ資源はしだいに少なくなり、マングローブの沼地も荒らされているのだそうだ。
 日本人が直接荒らしまわっていないにしても、わたしたちのエビ消費が、結果としてマングローブを枯らすことになっているのは否定できない。
 これは一つの例であって、わたしたちの生活が、このように間接的に環境を破壊していることは、じつに多い。わたしたちがおびただしい消費を重ねることが、考えてもみないようなところに悪影響をあたえ、傷つけることになっているわけだ。
 そうした直接みえない他人や世界へ、どこまで想像力をはたらかせることができるかが、これからますます問われることになるだろう。もちろんこれは大人だけの問題としてでなく、きみたち一人一人がこれから考えなければならない問題だと思う。

(児玉裕「あなたは買わされている」)