昨日322 今日2 合計147360
課題集 ナツメ3 の山

○自由な題名 / 池新
○家族(かぞく)の長所 / 池新


★まったくくまどもは / 池新
 まったくくまどもは小十郎の犬さえすきなようだった。
 けれどもくまもいろいろだから、気の烈しいやつならごうごうほえて立ちあがって、犬などはまるで踏みつぶしそうにしながら、小十郎のほうへ両手をだしてかかっていく。小十郎はぴったり落ちついて、樹をたてにして立ちながら、くまの月の輪をめがけてズドンとやるのだった。
 すると森までががあっと叫んでくまはどたっとたおれ、赤黒い血をどくどく吐きはなをくんくん鳴らして死んでしまうのだった。
 小十郎は鉄砲を木へたてかけて注意深くそばへ寄ってきて、こういうのだった。
「くま。おれはてまえをにくくて殺したのでねえんだぞ。おれも商売ならてめえもたなけぁならねえ。ほかの罪のねえ仕事していんだが、畑はなし、木はおかみのものにきまったし、里へ出てもたれも相手にしねえ。仕方なしに猟師なんぞしるんだ。てめえもくまに生まれたが因果なら、おれもこんな商売が因果だ。やい。このつぎにはくまなんぞに生まれなよ。」※
 そのときは犬もすっかりしょげかえって目を細くしてすわっていた。
 何せこの犬ばかりは小十郎が四十の夏、うちじゅうみんな赤痢にかかって、とうとう小十郎の息子とその妻も死んだ中に、ぴんぴんして生きていたのだ。
 それから小十郎はふところからとぎすまされた小刀を出して、くまのあごのとこから胸から腹にかけて、皮をすうっとさいていくのだった。それからあとの景色はぼくは大きらいだ。けれどもとにかくおしまい小十郎が、まっ赤なくまのをせなかの木のひつに∵いれて、血で毛がぼとぼとふさになった毛皮を谷であらって、くるくるまるめ、せなかにしょって、自分もぐんなりしたふうで谷をくだって行くことだけはたしかなのだ。
 (中略)
 ところがこの豪儀な小十郎が、まちへくまの皮と胆を売りに行くときのみじめさといったら、まったく気の毒だった。
 町のなかほどに大きな荒物屋があって、ざるだの砂糖だの砥石だの、金天狗やカメレオン印の煙草だの、それからガラスのはえとりまでならべていたのだ。小十郎が山のように毛皮をしょって、そこのしきいを一足またぐと、店ではまたきたかというように、うすらわらっているのだった。店のつぎの間に大きな唐金の火鉢をだして、主人がどっかりすわっていた。
「だんなさん、せんころはどうもありがとうごあんした。」※
 あの山では主のような小十郎は、毛皮の荷物を横におろしてていねいにしきいたに手をついていうのだった。
「はあ、どうも、きょうはなんのご用です。」
「くまの皮また少し持ってきたます。」※
「くまの皮か。このまえのもまだあのまましまってあるし、きょうぁ、まんつ、いいます。」※
「だんなさん、そういわなぃでどうか買ってくんなさぃ。安くてもいいます。」※
「なんぼ安くてもいらなぃます。」※
 主人は落ちつきはらって、きせるをたんたんとてのひらへたたくのだ。
 あの豪気な山のなかの主の小十郎は、こういわれるたびにもうまるで心配そうに顔をしかめた。
 何せ小十郎のとこでは、山には栗があったし、うしろのまるで少しの畑からはひえがとれるのではあったが、米などは少しもできず、味噌もなかったから、九十になるとしよりと子どもばかりの七人家内にもって行く米は、ごくわずかずつでもいったのだ。
 里のほうのものなら麻もつくったけれども、小十郎のとこではわずか藤つるで編む入れ物のほかに布にするようなものはなんにもできなかったのだ。∵
 小十郎はしばらくたってから、まるでしわがれたような声でいったもんだ。
「だんなさん、お願いだます。どうがなんぼでもいいはんて買ってくなぃ。」※
 小十郎はそういいながら改めておじぎさえしたもんだ。
 主人はだまってしばらくけむりを吐いてから、顔の少しでにかにか笑うのをそっとかくしていったもんだ。
「いいます。置いでおでれ。じゃ、平助、小十郎さんさ二円あげろじゃ。」※
 店の平助が大きな銀貨を四枚小十郎の前へすわってだした。小十郎はそれを押しいただくようにして、にかにかしながら受け取った。
 それから主人はこんどはだんだんきげんがよくなる。
「じゃ、おきの、小十郎さんさ一杯あげろ。」
 小十郎はこのころはもううれしくてわくわくしている。主人はゆっくりいろいろはなす。小十郎はかしこまって山のもようや何か申しあげている。まもなく台所のほうからお膳できたと知らせる。小十郎は半分辞退するけれども、けっきょく台所のところへ引っぱられてって、またていねいなあいさつをしている。
 まもなく塩引のさけのさしみや、いかの切りこみなどと酒が一本黒い小さな膳にのってくる。
 小十郎はちゃんとかしこまってそこへ腰かけて、いかの切りこみを手の甲にのせてべろりとなめたり、うやうやしく黄いろな酒を小さなちょこについだりしている。
 いくら物価の安いときだってくまの毛皮二枚で二円はあんまり安いとだれでも思う。
 実に安いし、あんまり安いことは小十郎でも知っている。けれどもどうして小十郎は、そんな町の荒物屋なんかへでなしに、ほかの人へどしどし売れないか。それはなぜかたいていの人にはわからない。けれども日本ではきつねけんというものもあって、きつねは猟師に負け猟師はだんなに負けるときまっている。ここではくま∵は小十郎にやられ小十郎がだんなにやられる。だんなは町のみんなのなかにいるから、なかなかくまに食われない。けれどもこんないやなずるいやつらは、世界がだんだん進歩すると、ひとりで消えてなくなっていく。
 ぼくはしばらくの間でも、あんなりっぱな小十郎が二度とつらも見たくないような、いやなやつにうまくやられることを書いたのが、実にしゃくにさわってたまらない。

※は方言です。

(宮沢賢治「なめとこ山のくま」)