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課題集 ナツメ3 の山

○自由な題名 / 池新
○私と友達、家族で遊んだこと / 池新
★大笑いしたこと、家族でスポーツをしたこと / 池新

○わが家の遠足のお弁当は / 池新
 わが家の遠足のお弁当は、海苔巻であった。
 遠足の朝、お天気を気にしながら起きると、茶の間ではお弁当作りが始まっている。一抱えもある大きな瀬戸の火鉢で、祖母が海苔をあぶっている。黒光りのする海苔を二枚重ねて丹念に火取っているそばで、母は巻きを広げ、前の晩のうちに煮ておいた干ぴょうを入れて太目の海苔巻を巻く。遠足にゆく子供は一人でも、海苔巻は七人家族の分を作るのでひと仕事なのである。
 五、六本出来上ると、濡れ布巾でしめらせた包丁で切るのだが、そうなると私は朝食などそっちのけで落ちつかない。海苔巻の両端の、切れっぱしが食べたいのである。
 海苔巻の端っこは、ご飯の割に干ぴょうと海苔の量が多くておいしい。ところが、これは父も大好物で、母は少しまとまると小皿に入れて朝刊をひろげている父の前に置く。父は待ちかまえていたように新聞のかげから手を伸ばして食べながら、
「生水を飲まないように」
「知らない木の枝にさわるとカブレるから気をつけなさい」
 と教訓を垂れるのだが、こっちはそれどころではない。端っこが父の方にまわらぬうちにと切っている母の手許に手を出して、
「あぶないでしょ。手を切ったらどうするの」
 とよく叱られた。
 結局、端っこは二切れか三切れしか貰えないのだが、私は大人は何と理不尽なものかと思った。父は何でも真中の好きな人で、かまぼこでも羊羹でも端は母や祖母が食べるのが当り前になっていた。それが、海苔巻に限って端っこがいいというのである。
 竹の皮に海苔巻を包む母の手許を見ながら、早く大きくなってお嫁にゆき、自分で海苔巻を作って、端っこを思い切り食べたいものだと思っていた。戦争激化と空襲で中断した時期もあったが、それでも小学校・女学校を通じて、遠足は十回や十五回は行ってい∵る。だが、どこへ行ってどんなことがあったか、三十数年の記憶の彼方に霞んではっきりしない。目に浮かぶのは遠足の朝の、海苔巻作りの光景である。
 ひと頃、ドラキュラの貯金箱が流行ったことがある。お金をのせると、ジイッと思わせぶりな音がして不意に小さな青い手が伸びて、陰険というか無慈悲というか、嫌な手つきでお金を引っさらって引っこむ。何かに似ているなと思ったら、遠足の朝、新聞のかげから手を伸ばして海苔巻の端っこを食べる父の手を連想したのだった。
 我ながらおかしくて笑ったが、不意に胸の奥が白湯でも飲んだように温かくなった。親子というのは不思議なものだ。こんな他愛ない小さな恨みも懐かしさにつながるのである。

(向田邦子「父の詫び状」)