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課題集 ナツメ3 の山

○自由な題名 / 池新
○私の入っているクラブ / 池新


★人間にとって一生のうちで / 池新
 人間にとって一生のうちで、いちばん大事な時期はいつごろでしょうか。これは愚問かもしれません。人生のなかで大事でない日などというのは、一日たりとてないからです。けれど、いちばん幸福な日々はいつかと問われたなら、私は確信をもって、少年時代、と答えます。むろん、何をもって幸福と言うか、その考え方はさまざまでしょう。しかし、私自身、自分の五十年にわたる歳月をふりかえってみて、ちゅうちょなくそう断言できるように思います。
 と言っても、その少年時代に私は自分が幸福であるなどとは少しも思いませんでした。おそらく、だれでもそうでしょう。少年のころ、あるいは少女のころは、自分が幸福などと思わないくらい幸福なのです。たとえ、どれほど苦しい環境にあっても、です。
 なぜなのだろう、と私はときどき考えます。端的に言えば、何につけても夢中になることができるからではないでしょうか。
 そんなことはない、大人になってからでも夢中になれる、と言うかもしれません。たしかに夢中になれるでしょう。けれど、その夢中になるなり方がちがうのです。少年のころは、まったく我をわすれて没頭できる。純粋に夢中になれる。しかし、大人になると、たとえ何かにどれほど夢中になっても、かならずほかのことへの配慮が働いています。ほかのことが気になりつつ、あることに熱中しているにすぎません。

(森本哲郎「ことばへの旅」)