昨日322 今日528 合計147886
課題集 ナツメ の山

○自由な題名 / 池新
○私のおまじない / 池新
★清書(せいしょ) / 池新

 そういえば、お母さんが庭いじりをしなくなって、もうずいぶんになる。
 うちは、ぼくが一年生になった時、いまの家へ引越してきた。それまでは、マンションの八階に住んでたんだ。
 お父さんの会社には、少し遠くなったけれど、こんどの家には、小さな庭がついていた。はじめのうち、お母さんは、ひまさえあれば庭へでて、花のなえを植えたり、種をまいたりしていた。あのころはほんとうにきれいだったな。
 せまい庭いっぱいに、春は、チューリップ、三色(さんしょく)スミレ。夏は、朝顔が芽をだし、つるを伸ばし、青や紫の大きな花をつけた。
 でも、ぼくが三年生になって、お母さんが会社へつとめるようになると、だんだん庭は荒れてきた。きっと、仕事と家のことで、いそがしくて、花どころじゃなくなっちやったんだな。「そうだ。ぼくもスミレを持って帰って、庭に植えようかな。」
「ああ。植えろよ、ぜひ。」
 力をこめて、レオナはいった。
 林の中には、あちこちに、点てんと、青い星みたいなスミレが咲いていた。
 それから、ぼくは、自分用にもう一かぶ、スミレを掘りかえし、落ちていたカップラーメンのうつわにいれ、レオナといっしょに林をでた。
 いつのまにか、空は夕やけに、そまっていた。
 ゆっくりゆっくり、レオナにあわせて歩きながら、ぼくは思いがけないプレゼントでももらったような気がしていた。そりゃあ、こんなつもりじゃなかったよ。でも、まあ、いいじゃない。きょうはそれなりに、たのしかったんだから。
「だけど、おまえ、これ、どうやって持って帰るつもりだったんだよ、ひとりで」
 ぼくは花の植わった箱を運んでやっていた。ぼくのスミレは、レオナがたいせつそうに、むねにかかえていた。
「ああ、そうか、いけない。ぼく、スミレにむちゅうで、そこまで考えなかった。」
といって、レオナはぺろっとしたをだした。
 家へ帰ると、ぼくはさっそく、庭のレンガの花だんにスミレを植えた。六時にお母さんが帰ってくるのが、とてもまちどおしかったな。
「お帰り? ねえねえ、ちょっときて。ちょっと、ちょっと。」
 ぼくは、お母さんの手を引っぱって、庭へつれていった。
「何よ。いそがしいのよ。すぐに夕ごはんのしたくしなくっちゃ。――あら、スミレ……。」
 ぼくとお母さんは、花だんの前にしゃがみこんだ。きれいね、とお母さんがつぶやいた。
「ぼくが植えたんだよ。林の中に咲いているのを、友だちがおしえてくれたんだ。」
 そういってから、(あれ?)と、ぼくは首をひねった。いま、ぼく、レオナのことを友だちっていったよな。それも、ごく自然に。
 林と聞いても、お母さんがちっともおこらないのが、またふしぎだった。
「やっぱり、花はいいわね。なんだか、ほっとするわ、花を見てると……。ねえ、テツヤ。また、いっしょに庭いじりしようか。前みたいに。」
「うん。やろう、やろう。」
 はずんだ声で、ぼくはいった。
 それにしても、ほんと、きょうは思いがけないことの連続だったな。

「宇宙人のいる教室」(さとうまきこ)より

○電車や飛行機の中で / 池新
【長文が二つある場合、読解問題用の長文は一番目の長文です。】
 いったい、ジャングルの破壊は何が原因なのでしょうか。
 こうした地球的規模の問題には、次にあげるふたつの大きな、根本的な原因があると思います。ひとつは、ジャングルがある国はいずれも発展途上国であり、貧しいこと。もうひとつは、先進国のむだの多いライフスタイル(暮らし方)です。
 まず発展途上国の場合は、人口増加にともなって、ジャングルを大規模に切り開いて農地にしたり、都市の人々を移住させたりしています。また薪木の消費量が多くなり、森がどんどんへっているため、女性は何時間もかけて遠くの森まで薪木を拾いに行かなくてはならないような状況も生じています。薪木が手にはいりにくくなったからといって、燃料をガスや電気にかえることもできません。こうした結果が、ジャングルの破壊につながっているケースもあります。
 また発展途上国にとっては、ジャングルの木々が重要な資金源でもあります。ジャングルは自然がつくったものですから、新たに何かをつくり出す必要がなく、切って輸出すればお金になります。マレーシア、インドネシア、フィリピンなど、ジャングルの破壊が大きな問題になっている国では、いずれも木材の輸出が国の経済の柱となっています。
 しかし発展途上国の経済を支える熱帯の木材も、価格は今、戦後最低です。結局、今の世界全体の経済構造そのものが、豊かな先進国が動かしているような感じですから、いつも買いたたかれてしまうんです。安いから、いくら切って売っても、たいしてお金にはならなくなってしまっています。
 ただでさえ苦しい国の経済状況に加えて、外国からの借金も返さなくてはなりません。そのためには、ジャングルを伐採するのもいたしかたない、伐採をやめるわけにはいかないという事情があるのです。
 そのいっぽう、豊かな先進国では使い捨てのものがふえるなど、∵むだの多い暮らし方が広まっています。これも、ジャングルを減少させているのです。
 たとえば、ファストフードの代表格であるハンバーガー。とくに欧米のハンバーガーをつくるための安い牛肉は、中南米産がほとんどです。中南米のジャングルは、この肉牛用の大規模な牧場建設のために、半分以上がなくなってしまったのです。
 豊かな先進国では、ハンバーガーを食べなくても、他に栄養源はいくらでもあります。木材にしても、なにも熱帯の木でなくてもかまわないでしょう。つまり、先進国の人々には選択の余地がいくらでもあり、その暮らし方を少し変えさえすれば、ジャングルの減少や破壊をくいとめられます。
 焼畑農業にしてもそうですが、これまでジャングルの伐採に関する主だった研究は、先進国の人間によって行われてきました。出版された本も、先進国の立場から見たものが多かったのです。
 過去にこんな例がありました。先進国によってジャングルに木を植えるという試みが行われたのですが、木は育ったものの、ジャングルに住む人々にとっては、ちっとも役に立たなかったのです。
 植えられた木はやせ地でも、比較的育ちやすく、生長の早いユーカリやアカシアなどでした。これらの木は、二年もたてば五メートルくらいになるのです。ところが早く、大きく育つのは結構なのですが、これらの木が他の木に必要な養分も全部奪ってしまいます。ですからそこは、ユーカリやアカシアだけの森となり、もとのジャングルとは似ても似つかぬ姿になってしまうのです。そんな森には、動物や鳥もすみつかなくなるでしょうし、そうなったら、人々はその森から食べ物はおろか、肥料も飼料も得られなくなってしまいます。
 この例からもわかるように、「科学」や「技術」、「開発」とはなにか、だれのためのものか、あらためて考え直してみることが必要だと思います。

(生きている森編集委員会編「未来の森 森があぶない」)∵
 【1】電車や飛行機の中で、乗務員に対して理由もなく横柄な人がいる。こっけいだ。乗せてもらわなくては困るくせに、何をいばっているのだろう。旧国鉄の内部には「乗せてやる」という言い回しがあったそうで、それもひどい勘違いだと思うけれど。
 【2】「いや、お客は偉い。買う時は、だれもが王様になる」という考え方もあるだろう。しかし、それだと無用のストレスが社会に広がりそうで、賛同しかねる。王様やお姫様の気分にしてあげることを目的とした一部のサービス業を例外として。
 【3】子供のころ、駄菓子屋でキャラメルを買う時や、食堂で親が精算をしている時、「買ってやったぞ」とお客様面をしていた。高度経済成長期に育ったので、小学生でもいっぱしの消費者として扱われた結果と言える。【4】そんな私が現在のように「転向」したのは、自分が社会に出て接客の現場にいたせいだろうが、それに先立つ経験もある。
 中学生になるかならずかという夏休み。両親の郷里である高松で過ごし、源平合戦で有名な屋島に遊びに行った。【5】三つ年下の弟と二人だったように思う。平日のことで山上に人は少なかった。蝉しぐれの遊歩道を散策した私は、ある光景に出くわす。
 休憩所の店先に帽子をかぶったおじさんが立ち、中をのぞいていた。五十代ぐらいの人だったのではないか。【6】連れはいなかった。うどんでも食べて店を出ようとしていたらしい。おじさんは財布を片手に、店の奥に向かって言った。「ごちそうさまぁ」
 意外な言葉だった。代金を払おうとしているのに店員の姿が見当たらない場合、とりあえず「すみませーん」と呼びかけるものだと思っていた。【7】いや、それしか思いつかなかった。なのに、このおじさんは無料でもてなされたかのように「ごちそうさま」と言う。一瞬だけ違和感を覚えた後、私の内に変化が起きた。
 自分のために料理を作ってくれたのだから、お客として代価を支払うとしても「ごちそうさま」と言うのが礼儀にかなっている。∵【8】考えたこともなかったけれど、それはそうだと納得し、お客は偉いわけではない、と知ったのだ。
 後日、食堂だかレストランだかで食事をして店を出る時に、私は小声でぎこちなく「ごちそうさま」と言ってみた。【9】すると、照れくさい気もしたが、それだけのことで一歩大人に近づいたように感じた。以来、店側に不始末がないかぎり「ごちそうさま」を言い添えている。
 屋島で見た何でもないひとコマが、私を少しだけ変えた。あのおじさんには、今も感謝している。【0】先方は、すれ違っただけの少年に何事かを教えたとはゆめゆめ思っていないだろうが、大人の言動が子供にあたえる影響は、かほど大きいのだ。平素から心しておかなくてはならない。
 書店員をしていて、いろんな人と遭遇した。ブックカバーをつけただけで「どうもありがとう」と言ってくれる人ばかりではない。ささいな行き違いで激昂げきこうし、アルバイトの大学生に「おれは客やぞ。社長に電話したろか!」と金切り声でさけぶ小学生をなだめたこともある。根性の曲がったガキだな、と思いつつ、君はろくな大人と会ったことないんだね、とかわいそうになった。

(有栖川有栖「お客は偉くない」『二〇〇七年七月二十九日 日経新聞文化面コラム』)