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課題集 ムベ3 の山

○自由な題名 / 池新
◎坂 / 池新
○点数をつけることはよいか、うちにある古い物 / 池新
★後の世話が大変だから / 池新
「後の世話が大変だから、雀の子だけはごめんだよ。それに死んだらかわいそうだもの」
 とお母さんはうるさく言う。よくわかっているんだけど、小雀こすずめの声を聞くと狩猟本能が目覚め、お母さんの言いつけなんかふっとんでしまう。
 庭で雀捕りなんかすると、きっと叱られるから、お城へ行くことにした。そこにはこの季節になると、大書院の屋根の下で生まれて巣立った小雀こすずめがたくさんいる。
 お城の桜の木に、数羽の小雀こすずめがさえずっている。甘い声が胸をくすぐる。でも、萌えたった若葉にさえぎられ、姿はなかなか見えない。ためつすがめつ見つめていると、灰色の影が、においたつ若葉の中をすっと動くのがわかる。胸がどきどきしてくる。目が輝き、鼓膜がぴいんとはりつめる。ぼくはあの勇ましい猟犬だ。いや猟犬は木に登れないから、猿だ。でも、猿って小鳥を捕って食べるのかなあ……?
 猟犬だって猿だってなんだっていい。ぼくは伏せあみをもって木に登った。
 小雀こすずめは声こそ細くて幼いが、体は小さくても親鳥と同じく、独り暮らしできる力をもう十分もっている。近づくと、あわやというところですっと飛び立ってしまう。くやしいったらないが、ぼくの負けだ。こんなのをいくら追っかけたって、むだ。つかまえるこつは、発育の遅い子雀を探し出し、それを徹底的に追いまわすことだ。そのうち小雀こすずめは疲れて動けなくなる。作戦変更。
 数本の桜の木をあたった末、一度に数メートルしか飛べない小雀こすずめを見つけた。もう半分捕れたようなものだ。
 桜から桜へ、二人は小雀こすずめを追っかけた。小雀こすずめがふらつきながら、横の桜へ移ったとき、「しめたっ」と心の中で叫んだ。近くに木はない。一丁上がりだ。
 ぼくは落ち着いて桜の幹に手をかける。虫を狙うカメレオンのように、ゆっくり距離を縮めていく。小雀こすずめはまだ口許くちもとの黄色い、小さ∵いくちばしを突き出し、あらぬかなたを見つめている。その先は澄みわたった青空だ。でも怖い目つきは、雲へでも飛び移りそうな気配だ。
 ぼくは胸いっぱいに広がるよろこびで、思わず頬がほころびる。勝利のカイカンってやつだ。ちらっと下を見る。射ぬくようなミトの真剣なまなざしが、ぼくの目にカチッとあたる。ぼくはそれにこたえて伏せあみをたぐり出し、最後の一突きの準備にかかった。小雀こすずめのまんまるい目が、少し小さくなったように見えた。まぶたが下がってきたのだろうか。小鳥はどれも、目をつぶりだしたらもうおしまい。元気がなくなった証拠だ。小雀こすずめは疲れはて、飛び立つエネルギーがなくなったのだろうか。
 ふいと浮かんだあわれみの心が、網の動きを乱し、テグスが小枝にひっかかった。引っぱると、小枝がゆれた。それが合図になったのかのように、小雀こすずめは全身の力を借りて、白い雲に向かって飛び立った。
 小雀こすずめは数メートル水平に飛ぶと、力つきて下へさがったが、また力をもりかえして上昇した。こんなことを繰り返しながら、波を描いて石垣の際の土手の桜まで飛んでいった。あっけにとられてその姿を見ながら、なぜかきいっと心にくいいるものを感じていた。
「えらいやつよのう」
 ミトが木の下から感にたえぬようにいう。
「うん、やるなあ」
 ぼくは木のまたにまたがって、空を見る。桜の若葉が青空に美しい模様を彫りこんでいる。手がだるい。足から力もぬけている。「逃がしてやるか」そんな思いが、ふっと心をよぎる。ミトもそう思っているにちがいない。青葉の蔭から放心したように空の一点を見つめていた丸い目と、甘えっ子みたいな黄色いくちばしが頭に中にちらつくのを、火をたくお陽様ひさまに投げこんで、ぼくは猿のようにすばしっこく木を降りる。

(河合雅雄「小さな博物誌」)