課題集 ミズキ3 の山
苗
絵
林
丘
○自由な題名
/池
池新
○若いころ、僕は
/池
池新
若いころ、僕はよく山へ行った。当時はバスもあまりなく、駅に降りてからはひたすら歩くだけで、川沿いに山懐に入って行く道は長かった。そこで僕が驚嘆するように知ったことは、よくこんなところにまでと思うほど谷の奥のほうにまで、猫の額のような田んぼがあったことだった。
また、山の中には杣道があり、粗朶を背にした土地の人とも会ったものだった。そして、谷も山も実に美しかった。
米が過剰になって、政府が減反政策を始めた時、僕がまず感じたことは、あの谷沿いの田はもうとっくになくなったろうな、ということだった。そこではじめて「谷は荒れるだろうな」と気付いた。
農家の人は、田んぼがあるからそんな奥まで入り、その田を守るために谷のようすや山のようすに気をつかう。その田がなくなれば、谷の斜面が崩れていても、倒木が谷をせき止めていてもわからない。そうなれば、鉄砲水が起こり、谷はさらに荒れて下流の地域に被害をおよぼす。
つまり、そういう田んぼは、山や川と人間生活との間に緩衝帯の役割を果たしていたということだ。しかもそれは、何百年もの間、農家の人々によって支えられ続けてきた。そのおかげで僕らは、水の猛威に見舞われることなく、美しい自然とつきあってこられたということだ。
もはやあんな谷沿いの田んぼは、日本中どこへ行ってもありはしないだろう。そして米が自由化されたとしたら、水田はごくごく条件のいい平野部にしか残るまい。
ということは、何百年にもわたって保たれてきた自然と人間の折り合いは、初めて変化を余儀なくされることになる。僕らがそれによって何を失うか、それは今想像できることよりはるかに大きなものに違いない。
ヨーロッパの文明は、自然を征服するかたちでつくられてきたが、日本の場合はそうではない。征服や加工ではなく、自然と折り合いをつけながら文明をつくってきた。∵
たとえば、米を作ればイナゴが繁殖するが、僕らの先祖は、そのイナゴも食品として取りこんでしまった。日本人の自然との付き合いかたは、そこまで一体化しているのである。
またその発想で、山の幸海の幸も、さほど加工することなく独自の食文化に高めてきた。それだけではない。短歌や俳句でわかる通り、圧倒的に詠われているのは自然であり、自然に託した心象である。
こうした伝統的な文化はここまで工業化した現在でも、僕らの中に深く根を下ろしている。宗教も、四季折々の生活行事も、すべて稲作農耕文化を基盤にしているのだ。
言うならば、稲作農家というのは日本文化の母胎である。文化というのは博物館を造ることではない。歴史に耐えてきたわらぶき屋根の家を、形を変えて利用し続けることなのである。
今の若い人は、リツがいいとか悪いとか、何ごとによらず経済合理性で割り切りたがる。というより、そんなふうにドライに割り切った言い方をすることが格好いいと思っているふしがある。
それからすれば米の自由化も、「そんなに値段が違うんなら、しかたないじゃない」と言うかもしれない。しかし、地球規模で気象が変わり、アメリカで米がとれなくなることもあり得ることを考えれば、それはどこまで合理的かということだ。
あるいは中には、「ご飯とかはあまり食べないから」と、どうでもいいと思っている人もいるかもしれない。おそらく今の若者は、米よりパンのほうが好きだろう。それはそういうものだと思う。
なぜなら味覚というのは、時間をかけ訓練されて磨かれるもので、若いうちは微妙な味はわかりにくい。はっきり言えば、うまいものをさんざん食べてきて四十、五十になり、「やっぱり飯はうまいなあ」と感じられるようになるのが、米の味というものだ。その時になって、うまい米がないと言っても遅いのである。
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/池
池新