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課題集 ミズキ3 の山

○自由な題名 / 池新
○宿題はよいか悪いか / 池新
○ライバルはよいか、私の家族 / 池新
○父の会社が / 池新
 父の会社が二度目の不渡りを出したあと、父は家族にも行方を告げずにどこかへ姿をくらましてしまい、残された家族は散り散りに居を移した。成人してすでに勤めていた兄と姉は、それぞれ独立してやがて結婚した。が、まだ高校に入学したばかりだった英明は母と一緒に小さなアパートを借りることになった。
 ふたりきりの住まいには充分な部屋ではあったが、どうにも処置に困ったのは以前の大きな家にあったもろもろの家財道具だった。
 父の会社もいっときは勢いの良かったころがあったから、大きなベッドや大量の衣類、さまざまな調度品、母の趣味であつめていた高価な絵、あらかたは処分したつもりだったのに、まだまだたくさんの物が英明たちの手もとに残されていた。けれど住まいが狭くなると、家具類はおろかレコードや本の類までもが、邪魔で厄介なものに感じられるのだった。英明ははじめて、家という「いれもの」がなければいくら高価な物でも何の役にも立たないということを知った。
 幸い知人の厚意をけることができて、母は空き倉庫を安く借りてきた。英明と母はその倉庫のそばのアパートを借り、もろもろの物を倉庫に収めさせてもらった。そうしておいてもどうなるものでもないが、母にしてみればいつかまた役立つときが来るかも知れないという、はかない願いのような気持ちがあったから、残った家財道具を始末せずに保存しておく気になったのだろう。
 その倉庫から火が出たのは、英明が高校一年の年の冬だった。
 家事の原因は、近所の子どもたちが割れた窓から倉庫にしのびこみ、中で火遊びをしたことらしかった。火はもの凄い勢いで燃えさかり、倉庫は全焼した。
 未だに英明はその晩のことを思い出すと、頬を焦がす火の熱気をそのまま感じるような気がする。消防車のサイレンに気付いて何気なく表を見たとき、頭の中は驚きのあまり真っ白になって、英明は一瞬考える能力を失った。
 母とふたりですぐに駆けつけたが、すでにもうなす術はなかった。英明と母はだらりと顎を下げて、かつて自分たちの身近にあっ∵たさまざまのものを火が焼き尽くすのを見ていた。
 ――あらあ……。
 そのとき、隣りに立っていた母はぼんやりと呟いた。まるで他人ごとのような口ぶりだった。
 振り返った英明が見た母の横顔は炎に照らされてオレンジ色に染まり、見開いた瞳にもやはりオレンジ色の炎しか映っていなかった。たぶん母は、そのとき何も考えていなかったろうと英明は思う。
 そのときの母子は、泣き叫んでわめき散らしてもいい立場だった。しかし英明も母も、魂を抜かれたように呆然と突っ立ったまま、何もせず何も言わずただただ燃える火を見ていた。
 あのときほど母が自分に近いところにいたことは、後にも先にもなかった。母も英明も、その一年足らずのあいだにとても安らかとはいえぬ時間を過ごして来ていて、そうしてひどく疲れていた。自分たちには手の負えない勢いで燃えさかる炎に対して、怒ったり悲しんだりする気力さえなかったのかも知れない。

(鷺沢萠『朽ちる町』)

○■ / 池新