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課題集 ミズキ2 の山

★日ごろ見慣れている景色(感)/ 池新
 【1】日ごろ見慣れている景色──たとえば、自分の家の玄関の造りや庭のたたずまい、など──が、ある時、ふと、まるで初めて見る時のように新しく、珍しく感じられるという経験をしたことはないでしょうか。【2】そのような時、私たちは日常、眼でものを見ているつもりで、それでいて実は何も見ていなかったのだということを感じます。
 言葉についても、同じことです。【3】日ごろ使い慣れている言葉ですから、私たちは自分の使う言葉については何でも分かっているつもりですが、ふとした機会に、実はそれが勝手な思い込みであったことに気づいて、はっとすることがあります。子どもたちは、そのような機会をしばしば与えてくれます。【4】──「ネコはどうしてネコと言うの。」、「ハンバーグとハンドバッグは〔ものは〕似ていないのに、どうして名前が似ているの。」、「校歌を歌ってあげるね。『緑ノ風ガ吹イーテイル……。』あれ、変だね。『緑の風』なんてないよね。」などといった具合です。【5】そして、日本語を習っている外国人もそうです。──「山田サンと富士サン。なるほど日本人はフジヤマ好きなのね。」、「『お目にかかる』と言うけど変ね。眼にぶら下がられたら、重くて困るでしょう。」
 【6】言葉を知っているといっても、私たちは毎日きまった道を通って通勤するのと同じように、日ごろは言葉の世界でもきまった道しか行き来していないのです。【7】しかし、この世界には思いがけないところに別の道があったり、それがまた他の新しい道と交わったり、そうかと思うと、まわりまわって気がつくと結局もとの道に戻ってしまっていたりします。【8】詩人はそのような新しい道を見出したり、自分で作り出したりもする特別の才能を備えた人たちです。しかし、そうでなくとも、私たちは誰でもその気になれば、言葉というものの持っている隠れた量り知れない意味する力に気づくことができるはずです。
 【9】まったく同じ顔つきでまったく同じ性格の人がいないのと同じように、一つ一つの語も、その気になって観察してみると、それぞれ実に個性のあるものです。【0】「頑固」というのは聞いた感じも見た感じもいかにも頑固そうですし、「前向き」のように何とでもこちらの言いなりになってくれそうな語もいます。「破廉恥」のよう∵なけしからぬものも「ハレンチ」と装いを改めるとずいぶん違った印象を与えます。「なまじっか」のように長らくつき合ってきたのに、いざ紹介してくれと言われると、どのように紹介してよいのか分からなくて困る語もあります。一人一人の子どもをそれぞれ個性ある人間として見るのと同じ眼で語も眺めてみたら、これほど愛着を感じさせるものはないのではないでしょうか。
 それぞれの語にそのような個性があるのは、その語が長い年月にわたって一つの文化の中で培われてきたからです。私たちは、長い間生活を共にしてきて、そのすべてを知りつくしている語は、他のどのような語でもっても置きかえることのできない、かけがえのない何かがあると感じます。そのような語には私たちは特別の愛着を感じますし、また、その語について他の人に語って聞かせることほど楽しいことはないはずです。たとえば、自分が身につけている方言がそうでしょう。だから、もしそのような言葉を粗末に扱うような人がいたとしたら、その人は、外国語の単語を日本語の単語に一対一で置きかえれば事がすむと思い込んでしまった人たちと同じように、言葉を使っているつもりで、実は言葉に使われている人たちなのでしょう。

(池上嘉彦『ことばの詩学』による。)