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課題集 メギ3 の山

○自由な題名 / 池新
○この一年、新しい学年 / 池新

★急な下り坂をおりきったところに / 池新
 急な下り坂をおりきったところに信号があった。交差する大きな道路があるのだから信号機があるのは当然だが、下り坂で勢いのついた車を停めるには、少々無理がある。よほど早めにブレーキを踏まねばならない。もっとも、交通量は少ない道だが。
「この交差点で事故はおきないのかしら」
 運転席の夫に言い終わるか、終わらぬうちに、急ブレーキをかける音と共に、車全体に鈍い振動が伝わった。バックミラーを見て夫はサイドブレーキを引き、直ぐに外に出た。ぶつかったのは五十CCバイク。高校生か。その子は転倒することもなく、バイクのハンドルに固定してみるミラーのゆがみを直しながら、我々の車の左側をするすると走り抜けようとしたが、信号は赤である。
 助手席の私が窓を開け、すぐ左隣に来たその子が痛そうに股間に手をやっているのを見て、「大丈夫? 痛くしたんでしょ」と言うのと、夫が「おいっ、逃げるのか」と声を出したのと、ほとんど同時だった。
 逃げるのか、と言われて男の子はむっとした表情になり、バイクにまたがったまま、両足で二輪車を押しもどして車の後にまわり、傷はつけなかった、と言った。ブレーキをかけていなかったわけではない。かけ方があまかった程度だから五十CCバイクがバンパーにぶつかっても車体に傷がつくことはない。
 私はその子がけがをしなかったかどうかがまっ先に心配になり、夫はぶつかっておきながら挨拶もせずに行き過ぎようとした態度が面白くなかった。「すいません」の一言を言わせて再びハンドルを握った。私は走り出した車の窓から首を出し、「本当に大丈夫ね。痛いところはないのね。気をつけなきゃだめよ」と車から次第に遅れていく子にどなるように言った。
 夫がとっさに出した「おいっ、逃げるのか」という言葉に私はこだわっていた。あの子の気持ちの中に「逃げる」という意識はなかったと思う。「あっ、いけねぇ。ぶつけちゃった。でも傷をつけたわけじゃないからかまわないだろう」と、軽い気持ちで通りすぎようとしただけのことだろう。きつい言葉で少年をなじる夫の心がうとましく思えた。
 息子は高校二年の時、奥多摩有料道路で転倒し、反対車線のガー∵ドレールにぶつかって気を失い、病院に運ばれた。同行の友人がかけてきた電話で事故を知り、あわてて病院にかけつけた時は、夕やみが色濃く人の顔も定かには分からぬほどだった。
 病院の門をくぐるとかけ寄ってきた人影があり、それが友人の安川君で、彼はとぼしい外灯の明かりを背に顔をこわばらせて、「ハンドルを握っていたのは宮地君で、僕は後ろに乗っていた」とまず言った。「あなたはけがをしなかったの」の問いに、すり傷だけだと言ってズボンをまくりあげ、血のにじんだ脛とすりきれたワイシャツからのぞいた右手の肘とを見せた。
 「オートバイは弁償します」と言う安川君に、私は「とんでもない。あなたにけがまでさせてしまってごめんなさい。いずれおわびにあがります」と言って病室へ急いだ。
 固いベッドに放り出されたような格好でうずくまっていた息子は、人の気配に薄目を開け、私の姿を認めて、「ごめんなさい」と言ったまま、ゲーゲーとはいた。もうずっとはき続けていたらしかった。私は、息子の背中を一晩中さすり続けた。明け方はき気が治まって眠りについた息子が、目を覚ましたのは昼近くである。もう安心と思うと私はむしょうに息子を責めたくなっていた。
「お友達にけがをさせるような無茶な運転はしないでちょうだい」
 息子は驚いた顔で「運転していたのはあいつだよ。『あっ、石だ』って安川が言ったとたんに投げ出されていたんだ」と答えたまま急に口をつぐんで、あとは何をきいてももくして語らなかった。
 救急隊員に菓子折りを持って礼に行き、どちらが運転していたのでしょうと尋ねた。
「我々には分かりません。しかし、運転者があんな遠くまで放り出されることは、あまり例がありません」
 私は安川君に激しい怒りをおぼえた。「ひきょうね、逃げないでよ」ときつくとがめたい気分になっていた。翌々日、病院へ見舞いに来た安川君に私は自分を制しきれず、「あなたが運転していたんですってね」と言ってしまった。彼は言葉をのんで、私にチラッと視線を走らせ、「じゃ、また来る」と息子に言って部屋を出た。息子は暗い目をして私を非難した。∵
「よけいなことを言わないでよ。あいつは十分に悪いと思っているんだ。大人なんて、自分さえ気がすめば、それでいいんだね。これは僕たちのことなんだから、黙っててよ」
 安川君が責任逃れをしようとしたのは確かだ。しかし逃げる人間を追及して何が得られるだろうか。たとえ安川君が運転者だったことがはっきりしても、私が彼を責めて彼に反省をうながすことができるだろうか。十六才。事の善悪はわきまえている。
 息子と安川君はその時を境に付き合いをやめた。親が付き合うなと言ったわけではない。彼らには彼らの常識があったらしい。
 「あなたが運転していたんですってね」という言葉が、どれほどあの子の心に突きささったか。彼を責めた私は、あれ以来、自分を責め続けることになった。もう八年も前のことなのに、あの時から私は他人をなじる言葉に耳をおおいたくなっている。夫の「逃げるのか」の言葉の中に、私は冷酷とエゴしかないのを感じ、やりきれない気持ちだった。
 やがて高速道路に入るまでの半時間あまり、夫と私はたがいに相手の態度を無言で非難しあっていた。挨拶できない年齢ではない。あの子に先ず礼儀をさとすのが当然だろうというのが、夫の言い分であることは、相手が黙っていても私にはよく分かる。夫の方が先に折れてきた。「今度の休みに大菩薩へ登ろうか」。以前から私が行きたがっていたからである。しかし、私はいつものようにその言葉にすぐのる気にはなれなかった。再び二人とも黙りこんだ。速度制限オーバーを知らせるチャイムだけが、さっきからずっと鳴りっぱなしだった。

(宮地真美子「ずれ」)

○■ / 池新