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課題集 メギ3 の山

○自由な題名 / 池新
○春を見つけた、種まき / 池新

★春、植木市がたつ。 / 池新
 春、植木市がたつ。お寺の境内へ、かなりな商品が運びこまれ、ちょっとした市なのである。父は私にガマ口を渡して、娘の好む木でも花でも買っちゃれ、という。汗ばむような、晴れた午後だった。娘がほしいといいだしたのは、藤の鉢植えだった。それは花物では、市のなかのお職だった。鉢ごとでちょうど私の身長と同じくらいの高さがあり、老木で、あすあさってには咲こうという、蕾のふさがどっさりついていた。子供は、てんから問題にならない高級品を、無邪気にほしがったのである。子供だからこそ、おめず臆せずねだるが、聞かずとも知れる高値である。とてもガマ口の小銭で買えるものではない。もちろん私は買う気などなくて、子供と藤の不釣合いなおかしさを笑ってすませ、藤の代わりに赤い草花をどうかとすすめた。子供はそれらの花は、以前にもう買ったことがあるからとしりぞけ、小さい山椒の木を取った。お職の藤から一度に大下落の山椒だった。ほしいものが買ってもらえなくて、わざと安値のものをと嫌味にすねたのではない。彼女はさんしょの葉としらすぼしを、醤油でいりつけたのをごはんにぱらぱらとまき、お菜に玉子焼をつけたお弁当が、大好きだったからなのである。藤でなくても、山椒でも子供は無邪気に喜んでいた。私もそれでよい、と思ってうたがわなかった。
 ところが、夕方書斎からでてきた父が、みるみる不機嫌になった。藤の選択はまちがっていない、という。市で一番の花を選んだとは、花を見るたしかな目をもっていたからのこと、なぜその確かな目に応じてやらなかったのか、藤は当然買ってやるべきものだったのに、という。そういわれてもまだ私は気づかず、それでも藤はバカ値だったから、と弁解すると父は真顔になっておこった。好む草なり木なりを買ってやれ、といいつけたのは自分だ、だからわざと自分用のガマ口を渡してやった。子は藤を選んだ、だのになぜかってやらないのか、金が足りないのなら、ガマ口ごと手金にうてばそれで済むものを、おまえは親のいいつけも、子のせっかくの選択∵も無にして、平気でいる。なんと浅はかな心か、しかも、藤がたかいのバカ値のというが、いったい何を物差にして、価値をきめているのか、多少値の張る買物であったにせよ、その藤を子の心の養いにしてやろうと、なぜ思わないのか、その藤をきっかけに、どの花をもいとおしむことを教えてやれば、それはこの子一生の心のうるおい、女一代の目の楽しみにもなろう、もしまたもっと深い機縁があれば、子供は藤から蔦へ、蔦からもみじへ、松から杉へと関心の芽を伸ばさないとはかぎらない。そうなればそれはもう、その子が財産をもったも同じこと、これ以上の価値はない、子育ての最中にいる親が誰しも思うことは、どうしたら子のからだに、心に、いい養いをつけることができるか、とそればかり思うものだ、金銭を先に云々して、子の心の栄養を考えない処置には、あきれてものもいえない――さんざんにきめつけられた。
 藤の代わりに買い与えた山椒が、叱られたあとの感情をよけいせつなくした。一尺五寸ほどの貧弱な木だが、鮮緑の葉は揉めば高い香気をはなち、噛めば鋭い味をひろげ、棘は容赦なく刺した。誰のためにあがなった木だろうと、思わされた。だが、叱られたのは身にしみたが、さればといってその後私が心を改め、縁日のたびに子に花の楽しさをコーチしたのではない。とかくルーズなのである。
 子は大きくなっていった。花を見ても、きれいだというだけ、木を見ても、大きな木ねというだけ、植物にはそれ以上は心が動かないようだった。世話をして花を咲かすなどは、面倒そう。庭木の枯れ枝を一本切るにさえ、しぶりがちである。ほかには優しい心を持つほうなのだが、野良犬にふみ倒された小菊を、おこしてやろうともしない固さなのである。草木をいとおしまぬ女が、どんなに味気ないものか、子ながらうとましく思う時もあった。話しても説いても、心が動かないようだった。それまでも私は、あの時の藤でチャンスを失ったらしいと、後悔することが度々あったのだが、今更ながらこの責任は自分にある、とつらい思いをした。いくらつらく思っても、もうおそかった。∵
 年々四季はめぐる。芽立ち、花咲き、みのり、枯れおちる。そのことあるたびに心はいたんだ。が、そのまま娘は人のもとへ縁付いた。孫がうまれた時、この子は草木をいとおしむ子になれと、ひそかに祈った。子に怠ったことを、孫でつとめたいと思った。
 けれども、私のおもわくはがらりと外れた。いいほうに外れたのである。思いがけないことに、娘の夫は花を好み、木を育てようとする人だった。土をいじり、種をまいて喜ぶのである。子がうまれ、結婚生活が落ち着いてから、その趣味というか心柄というかが、やっと形になって現れはじめたのである。意外な感じがしたのだが、もっとも意外だったのは、そういう夫につれて娘もしみじみと花をみつめ、芽をいとおしむ気をもったことだった。ほっとして、私はもう孫のことも安心した。

(幸田文「藤」)

○■ / 池新