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課題集 メギ3 の山

★あなたはいい加減な人間だ/ 池新
 あなたはいい加減な人間だ――そういわれたなら日本人のだれもが不快、どころか、腹を立てることだろう。わたしのどこがいい加減なんですか、と、ムキになって反論する人も多いにちがいない。ということは、「いい加減」という言葉がけっして好ましいことではないことを語っている。しかし、考えてみると、これはまことに奇妙なことではあるまいか。「いい加減」というのは字義どおりに解すれば、よい加減という意味であり、つまり、適切な、ということだからである。したがって、いい加減な人というのは、ものごとに対してきわめて適切な処置のとれる人、感情の起伏が激しくなく、いつも平静を保っていることのできる人、過激な行動に走ることなく、つねに節度をわきまえている人、ということになる。にもかかわらず、いい加減な人間といわれると、十人のうち十人までが憤るというのは、この言葉がけっしてそうした字義どおりの意味で使われていないことを証明している。そこで私はあらためて辞書(『広辞苑=第二版』)を引いてみる。すると、「好い加減」の項にはつぎの三つの意味が記されている。
(一)よい程あい。適当。
(二)条理(すじみち)をつくさないこと。徹底しないこと。でたらめ。いいくらい。
(三)(副詞的に用いて)相当。だいぶ。かなり。
 そして、(三)の用例として「いい加減待たされた」という用法があげられている。だが、どう考えてみても、この三つの意味のあいだには関連が見いだせそうにない。「適当」と「でたらめ」と「かなり」に、どんな共通項があるのだろう。まったくニュアンスを異にする意味を三つもふくんでいるとすれば、「いい加減」という言葉は文脈で判断するほかない。おそらく、日本語のなかで外国人に最も理解しがたいのは、こうした言葉であろう。時と場合によって、その意味が異なるどころか、正反対の意味にさえなってしまうのであるから。
 たとえば、子供のいたずらが過ぎると、母親はきまって「いい加減にしなさい!」といって叱る。ところが、そういわれて子供が「いい加減」なことをしたとすると、これまた叱られることになる。「いい加減にしなさい!」といって子供を叱った母親は、そういいながら子供が「いい加減な人間」になることを、けっして望んではいないのである。∵
 ではなぜ、「いい加減」が好ましくない意味を持つようになったのであろうか。それはおそらく、「よい加減」ということを日本人がいいことと思わなかったからにちがいない。どうしていいことと思わなかったのか。その心の底には、日本人独特の自然についての考え方があるように私は思う。
 日本の国土は、世界でもまれな温和な気象と美しい自然にめぐまれている。むろん、狭い島国であっても、北と南とでは気候は異なり、生活の条件もかなりちがう。けれども概していうなら、これほど優しい山河に取り巻かれた風土は地球上で例外といってもよい。このようなおだやかな自然のなかで暮らしつづけてきた日本人は、とうぜん自然に親しみ、自然に甘えてきた。日本人は自然に敵対したり、自然を克服しようなどとは、まったく考えもしなかった。
 たしかに自然は災害ももたらした。台風、地震、洪水、旱魃、豪雪、火山の噴火……こうした天災で人びとは苦しんできた。しかし、それにしても、この国では自然が徹底的に人間を痛めつけることはしなかった。一時的に災害をもたらしても、自然はすぐに優しく人間をいたわり、その打撃から立ち直らせてくれるのである。だから日本人は自然を愛したというより、自然を信じてきたというべきだろう。
 とはいえ、日本人も、ただ自然に随順すればそれでよいと考えたわけではない。人間は自然そのものとはちがう。人は死ねば土に還るには相違ないが、少なくとも人間は生きているかぎりは人間であり、人間である以上、人間的な努力をしなければならない。その努力の果てに自然がこころよく待ち受けていてくれるのである。つまり、自然に帰ることはあくまで最終的な解決なのであって、最初から自然に従えばいいということではない。
 「いい加減」の状態とは、すなわち自然の状態ということになる。したがって、「いい加減な人間」とは、自然のままになっている人間、言いかえれば、なすべきことをやめた人間ということになる。なすべきことをなさず、自然のままに任せておくということは、いくら自然に甘え、自然を信じている日本人にとっても、けっして好ましいことではない。「人事ヲ尽クシテ天命ヲ待ツ」とは中国の名言だが、自然を信仰する日本人もそう思っているのだ。そこ∵で、日本人は人事を尽くさないで自然に任せてしまう安易な人間を「いい加減なヤツ」として非難するのである。
 私は『広辞苑』にあげられている「いい加減」の三つの意味のあいだに何の関連も見いだせそうにないといった。だが、以上のように考えてくると、この三つの意味はやはり見えない糸で結ばれていることに気づく。それはともに日本人の自然観の正直な告白なのである。つまり、「いい加減」という言葉の意味はすべてその根を「自然」に持っているのである。
 だとすれば、この言葉こそ、世界で例外といえるほど優しい山河、おだやかな自然にめぐまれた島国に暮らす日本人独特の表現であり、日本人の心性しんせいをこの上なく雄弁に語っている興味深い日常語――といえるのではなかろうか。
(森本哲郎「日本語 表と裏」)