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課題集 メギ の山

★日本人が、淡泊であるかわりに(感)/ 池新
 【1】日本人が、淡泊であるかわりに持続力に欠けていると言われるのも、生活感覚に左右されているところがすくなくないのではあるまいか。うるさいことは嫌いだという。ごてごてしているのはおもしろくないと感じる。
 【2】こういう傾向が言語に影響しないはずはない。こまかいことは省略してしまう。それがわからぬのは野暮だとして相手にしない。のけもの扱いされるのは誰しも好むところではないから、お互いに以心伝心の術に長ずるようになる。【3】道筋を飛ばして結論を出す。結論は相手の想像に委ねて、さりげない話でお茶をにごす。ありのままをくどくどのべるのは興ざめだとされる。
 そういう淡泊好みの通人たちが考えだした詩型が和歌であり俳句であって、短いことでは世界に類がすくない。【4】ことに大昔から確立している和歌の形式は、日本人の感性、言語、思考を決定するほどの力をもってきたように思われる。
 その妙手たちに比較的女流が多かったことも、またおどろくべきことである。【5】ヨーロッパの文学の歴史を見ると、文学史そのものが短いこともあるけれども、三、四百年前の時代に女流詩人の名を見いだすことは困難であろう。ところが、わが国では千年ちかい昔でも、女性は男性と肩を並べて名歌を数多く残している。【6】ことに日本の言葉が花と開いた平安朝の文学は実質的に女流文学であった。そういう古い時代に、こういうことがほかの国で起こっているだろうか。日本語全体に女性的性格がつよいことは認めてよい。
 【7】女性的言語が持久性のつよい長編詩に結晶しないで短詩型文学を生んだのは、やはり風土的因子によるものと考えられる。さらりと流す叙情が尊重される。その女性的性格にいくらか反発したらしく思われるのが、俳句というさらに短い詩である。【8】和歌が仮名言葉中心であるのに、俳句では漢語の比重が大きい。
 そういう和歌と俳句の相違はありながらも、実によく似ているのは、言葉のいわゆる論理に背をむけていることである。感覚的に全体を直感で把握する。
 目に青葉 山ほととぎす はつ鰹 (素堂)
 【9】この句の表現しようとしているものを理屈で説明しようとすればおそらく何十枚もの文章を必要とする。それでも決して言い表わ∵せぬものを、この中に凝縮させている。論理を超える論理があるからだ。
 【0】「言ひおほせて何かある」……そう芭蕉は言っている。完結した表現、整いすぎた言葉は詩にならないことを、これほど端的にのべたものはすくない。「言ひおほせ」ないためには論理でも何でも犠牲にしてかえりみない。