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課題集 メギ の山

★本質的な問題に(感)/ 池新
【二番目の長文が課題の長文です。】
 【1】遊び始めたとき、雨が降ってきた。小学校の三年生のころのことだ。一緒に遊んでいた数人で、すぐに校舎のひさしの下に入りそのまま遊びを続けた。やがて雨が次第に激しくなり、ついに本格的な大雨になった。【2】仕方がないので、家に帰ることにし、結局ずぶぬれになって帰り、母に笑われた。小学生の私たちにとって、遊びは人生の楽しさそのものだった。【3】休みの日は自然に早く目が覚めるので、夏休みは毎日早起きになる。勉強のある平日は遅くまで寝ているが、自由に過ごせる休みの日は、自分でも驚くほど早く起きられるのだ。
 【4】遊びは、人間を生き生きとさせる。それが遊びのプラスの面だ。楽しい人生を送ることは、人間として欠かすことができない。そして、人間は遊びを通して勉強以外の何かを学ぶ。【5】遊びの過程にはトラブルがつきものだ。「勝った。負けた」「やった。やらない」などの言い合いがときどき生まれる。しかし、人間はそこで他人との関係に必要な感覚を身につけているのだろう。
 【6】しかし、もちろん人間には勉強も必要だ。勉強は、動物にはない人間独自の時間の過ごし方で、遊びの対極として考えられている。例えば、漢字の書き取り、計算の練習、社会や理科のさまざまな知識の記憶。これらに共通しているのは、退屈で、できれば後回しにしたいということだ。【7】しかし、それがあとになって役に立つのも事実だ。例えば、算数の九九という計算方法を覚えることによって、その後の数字を使う生活は飛躍的に能率が上がる。また、もっと学年が上がると、学ぶこと自体が面白くなるという人もいる。
 【8】このように考えると、遊びと勉強はもともと区別して考えるものではないのかもしれない。遊びも勉強も、自己の向上という点で大きくは一致する。【9】そして、自己の向上は、人間にとって最も大きい喜びのひとつだろう。だから、遊びを勉強のように成長の糧にするとともに、逆に勉強を遊びのように楽しむことが、これから必要になってくるのではないだろうか。【0】∵

(言葉の森長文作成委員会 Σ)∵
 【1】本質的な問題に、どんな点から気付くのか、そういうものが、どんな状況から出てくるかというと、それも、その人の素質によるものだと思います。これはいろいろな要因が考えられます。小さいときからの物の考え方、家庭内での躾、いろんな要素が複雑に入り組んでいるわけです。【2】わがまま放題にして育ったのでは、そういうことを感じ、ある方向へもっていく機能、考え方が生まれてこないと思います。ですから、たとえ小さなことでも、自分がどういう立場にいるかということを、早くから家庭の躾や、親の愛情で、それを感じさせるということも可能だと思います。
 【3】子供の頃のある時期から、仲間内でも、むちゃくちゃやっていると、みんなから嫌われることも、悟ります。
 小さな家庭生活や、子供社会の体験から、本能的なわがままな感情と、一方では、経験的にどうすればいいかという、理性というものが、小さいときから生まれてくるのです。
 【4】家庭の躾のようなものからでも、その端緒が生まれてくるのではないかと思います。躾の厳しい家庭では、小さい子供のころから、子供の就寝時間がきたから部屋に帰ってねなさいと、親は子供にいいます。かなり小さい時からでも、規律を教えるために、そういうことをします。【5】親は可愛いからといって手元においてわがままにさせません。これもわがままにならない、一つの愛だと思います。
 子供が本能や感情で動くときに、早くから、親がきちんと、教育面で、子供の時間というものを躾として教えるわけです。【6】最初はわめこうが叫ぼうが、許してもらえません。こうして、我慢することや、自分の立場を自覚します。そういう日常生活を通じて、どんなに親しくても、それぞれの立場があるということを、躾として、覚えていきます。【7】日々の小さな出来事で、何でもないようなことですけど、そういうことの積み重ねにより、将来の判断力の一端が育つと思うのです。それを育てることが、家庭内の本当の愛情といえます。この教育が大事なんです。
 【8】日本でも、昔はそうした伝統的な家庭の教えがあったと思うのです。キチンと父親が善悪や礼儀を教えていました。愛情を持ちながら、厳しく躾をしたものです。盲目的に可愛がらない、猫っ可∵愛がりをしない、そういう分別というものを、精神的につけていく家風がありました。【9】両親の躾がしっかりしているという、家庭内の空気を感じさせ、これが人間形成の一端を担っていました。そして自分の行動をどうしていくかを子供に感じさせ、自覚させたものです。
 よく教育問題で、これからの学校教育の進路や個性化が文部省の教育審議会などで云々されます。【0】まず改革は親からやらないと効果が上がりません。「三つ子の魂百までも」ではないですが、本当に意識づくまでの幼い時代に、家庭でその芽は育つものです。親は本当の愛情とは何ぞやということを自覚する必要があります。昔は親が子供のために一生懸命食事を作りました。煙に涙を流しながら、朝ご飯を作るとか、手作りのシャツを着せるとかで育ったのです。今日は、弁当でも親が作るというのではなく昔と違って給食です。今日、一般的には、家庭でお惣菜として早く食べられるよう便利に出来ています。子供でもレンジで温めれば、苦労なく作れます。父親は外で稼いでいますが、その仕事の姿は見えません。母親は、子供には、塾へ勉強に行け、次に何しろということがあります。こうしたことが、一生懸命子供たちの事を考えながら、育てていると、親は思っています。ところが、子供の人間形成の大事な点は、人間的な愛情です。本当の愛情は何なのかと、スキンシップで親子の会話や感性が生まれるようにしなければなりません。そういうところの形式が変わっているのに、本当の愛情に気がつかないのではないかと思います。(中略)
 親対子の愛情は古典的、本能的なものですから、経済的に貧しくても、温かい家族的な愛情のある家というのは幸福です。そこからいい人間性が育ちます。ちゃんとした人物が出てくるのではないでしょうか。

(平山郁夫「この道一筋に」より)