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課題集 マキ3 の山

○自由な題名 / 池新
○ペット / 池新

★ほんとうの友達は / 池新
 ほんとうの友達は、多くの場合、若いときからの年来の友人、学校時代あるいは二十歳前後のいわゆる青春時代からの友人です。大人になってから、ことに三十歳を過ぎてから、心からの親友を見いだすことは、ないことはないでしょうが、なかなか困難なことです。志賀直哉氏と武者小路氏にしても学生時代からの友人でしたし、わたしの場合でも、親友の大部分は学生時代からの友人です。だから学生時代に、あるいは二十歳前後の若いときによい友人を発見することはきわめて大事なことですが、なぜ若いときの友人が一生の友人になることが多く、それに比べて大人になってからでは親友はできにくいか、このことを考えてみると友情とは何かがはっきりしてくると思います。
 その人の存在だけでこちらが慰められ励まされるような友達、生涯続いて変らない美しい友情、こういったものが若いときにつくられることが多いということは、そういう時代には各自がすなおに人生に直面しており、したがってすなおな自己をさらけだして生きているので、心と心がすなおに触れ合うことが多いからでしょう。言いかえれば、青春の時代にあっては、打算的功利的な考えで人と交際することが、大人の社会に比べて少ないからでしょう。
 一口に友人といっても、その種類や程度はさまざまだとまえに申しましたが、世間には単に利害関係だけで結ばれている友人関係や、利害関係だけでなくてもごく表面的な関係だけで交際している人を友人と呼んでいる場合がたいへん多いのです。利害関係だけで結ばれているならば、その利害関係の変化によって、今まで親友のように交際していた人どうしがたちまちかたきのようになってしまうこともあるでしょう。それはけっして友達とは言えません。また単に表面的なこと、たとえばクラスが同じだとか、趣味が似ているとか、職場が一つだとかいうことで友人になっている場合があっても、それはそれでよいでしょうが、これだけでは生涯の友にはなれません。なぜなら、ほんとうの友情とは心と心の触れ合いですから、表面的なことだけでは成立せず、互いの真実をぶつけ合うすなおな気持ちが必要だからです。
 大人になってからは親友ができにくく、若いときにこそ真の友情を見つけることができるのは、自己の真実を裸のままで示すすなおな気持ちを若い人は持っているのに、大人になるといろいろなか∵らができてしまって、自己を開き示すことが少なくなるからでしょう。友情の成立に必要なのは、必ずしも若さということではなくて、人生にたいする真実な気持ちを聞き示し、また他人のそのような気持ちを受け入れる心のすなおさです。言いかえれば、人生に対する真実な気持ち、自分自身に対する誠実さ、これなくしては友情は得られず、逆にまた、これさえあれば若くても若くなくても真の友情をうることができるに違いありません。友情における相互の信頼というものは、人生に立ち向かうこの真実さを相互に認め合うことですから、性格や意見がどのように違っても、外的な環境や身分がどのように違っても、そういった相違をこえて成立するものですし、これは相互の生き方の最も深いところでの信頼ですから、生涯変ることなく続くのです。
 こういう信頼は、当然、相手に対する尊敬を伴います。人生に対する真実真剣な態度ほど尊敬すべきものはないのですから、信頼が尊敬を生むのは当然です。信頼をもって人に接すれば、わたしたちはそこに自分の持っていないさまざまな長所を発見し、それを尊敬し、そこから学び、それによって励まされます。逆にまた、そのような信頼を友人から寄せられるならば、それにまさる大きな慰めと励ましはないでしょう。なぜなら人生への真実という点での信頼は心の最も深いところでの信頼であり、他の何ものによっても動かされることのないものだからです。人がなんと言おうとも、世間がどんなに自分を誤解しようとも、友人だけはわかってくれていると思うことができるのは、なんというありがたいことでしょうか。

(矢内原伊作『友情について』)

○■ / 池新