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課題集 マキ3 の山

○自由な題名 / 池新
○制服 / 池新

★公団住宅では、犬や猫を / 池新
 公団住宅では、犬や猫を飼うことが禁じられていた。それでも幼い子供たちはどこからか、よれよれに毛のよごれたむく犬や生まれたばかりの猫の子を拾ってきて、夕方まで飽くこともなく遊んだのち、きまったように「今晩だけでいいから寝かせてやって。」と切ない顔をしてねだった。手ごろなボール紙の箱に古綿などを敷いて、ベランダの隅に子供が置いてやったか弱い生き物を、子供たちの寝入ったのちにそっと捨てにゆくのは、むごくて罪深い感じがした。
 翌日の朝、目を覚ますやいなや飛び起きていって、目に涙を浮かべて立ちつくしている子供に、「ゆうべお母さん猫が迎えに来て喜んで帰っていったのだから、もうそっとしておいてやりなさい。」と言い聞かせながら、親の心も楽しくはなかった。
 いろいろ考えたすえ、文鳥を買ってきて飼うことになった。本当はもっと大きくて感情の動きの分かるインコのようなものがほしかったが、貧しい私には手が出なかった。まだよく毛も生えそろわないで、あちこち赤肌のむき出しになっている小鳥のひなの姿は、あまりかわいいものではない。餌をほしがって意外に太い声でのどを鳴らしながら、くちばしを精いっぱい開いた顔は、貪欲で妖怪じみた感じさえした。
 だが、子供たちは、腹がすくとしりに火がついたように鳴きたて、腹がいっぱいになるとうつらうつら夢ばかり見ているような小さな生き物に、時には気まぐれな、時にはこまやかで頼もしい保育本能を示すようになった。それにこたえるように、ひと月、ふた月とたつにつれて、二羽の白文鳥のひなは毛なみが整い、半年ほどたつとくちばしや目のふちに桜貝のようなやさしい紅の色をにじませ、羽はつやつやと内側から輝くような美しさを見せるようになった。かごの入り口を開けると、すぐてのひらに乗ってきて、腕から肩によじ登り、耳たぶを突っついたり、髪の毛を引っぱったり、親愛のかぎりの動作を、いたずらっぽくやさしく、いつまでも繰り返すのであった。
 このかれんなやさしさは男の子には少しもの足りないだろうな、と思って見ていた。∵
 私は山の中の一軒家で育ったけれども、もの心ついたときからいつもそばに犬がいた。犬好きの父は、多いときには十二匹もの紀州犬を飼っていた。私が学校を終えて村はずれの橋のところまで来ると、きまってそこに、父に命じられて私を迎えに来た犬が待っていて、そこから二キロの山道を後になり先になりして歩いて帰るのだった。家に帰りつくと、父は私と犬とを交互にいたわり、おやつをくれた。
 古代とあまり変りのないような自然の中で、家に飼う生き物と、自然に耐える厳しさを分かち合って生きた幼時の体験を持つ私には、子供たちが小さな小鳥とかわし合うちまちまとした愛情は、見ていていらだたしく、もの悲しくなるような気がした。それでも何も飼わないよりはよいと思った。
 それから二年ほどたった年の夏、私たち一家は蓼科たてしなへ三、四日の小旅行をすることになった。二羽の文鳥は小さな鳥かごに移されて、兄弟が交替で持った。ふろしきにすっぽりと包んで運ばれるかごの中に、文鳥はひっそりとおとなしかった。後から考えると、真夏の東京の暑さから冷房した列車へ、さらに長い間バスに揺られて蓼科たてしな山ろくの自然の涼しさの中へと、一日のうちにめまぐるしく温度の変ったことがこたえたのにちがいない。部屋に入って、覆いの布をとってやっても、ぐったりとして元気がなかった。私たちは環境の変ったせいだろうと軽く考えていた。
 翌日の早朝、白樺しらかばの林で鳴くジュウイチやカッコウの声に目を覚まされて、真っ先に起き出した子供たちが鳥かごの異変を見つけた。まだ薄暗い部屋の隅で、文鳥は二つの白い綿くずのようになってこと切れていた。小さい命の失われ方のあまりのあっけなさに、ぼうぜんとなるばかりだった。

(岡野弘彦『文鳥と月見草』)

○■ / 池新