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課題集 マキ3 の山

○自由な題名 / 池新
○薬、勉強の意味 / 池新
○自己主張の大切さ、集めているもの / 池新
★ざーっ。裏手の大えのきが / 池新
 ざーっ。裏手の大えのきが風に鳴って……ぱら、ぱら、ぱらっ。落葉(おちばが時雨のようにふりこぼれる。
 まっさおな空。沼の向こうに富士も見えて、まさに絶好のもみ干し日和だ。
 和夫(かずおは、今日から五日の農繁休暇。もちろん、父母の仕事を手伝うのはいやではなかったが、しかし彼の胸の中には、妙に溶けない一かたまりがあった。それは、五日間、くたくたに働きつかれて登校すると、その五日間を遊びくらした同級生が、新刊の雑誌などを小脇(こわきに、いそいそやってくることだ。
 今年の初夏、田植期の農繁休に、雨にぬれて苗を運ぶつらさから、ふとその不公平を口にすると、母のかねは苦笑して、「生まれどころがまずかったね。せめて、三井家でないまでも、裏の本田さんへでも生まれてくればよかったのに」といった。
 本田さんは、もと、地主。農地解放で田畑はへったが、十町歩ばかりの山林がものをいって、けっこう、昔の生活をつづけている。母はそのことから、高校へ進学したがる和夫に、冗談半分に言ったのだ。
 だが、和夫としては、それは見当はずれな母の言葉だった。和夫は、こういいかえしたかった。
「おれは、おれだけよければ、それでいいなんて思ってないよ。おれは、百姓の子だけ、農繁休だといって、くたくたになるまで働いているのを、大人たちが、あたりまえみたいに見ているのをおかしいと思うんだ。」
 けれども、和夫はそれを口に出してはいわなかった。いえば、生意気だと、父母はもちろん、兄や姉にも、笑われるか、しかられるかするに決まっているからだ。
 ところで、母に手伝って、筵を広げていく和夫を、じっと見ていた父の仙吉は、
「和夫よかったな」
そしてからから笑った。
 しかし、和夫には、何が「よかった」のかわからなかった。
すると、母がいった。
「そうだ、今年は洪水にもとられず、風にもやられず、こんなにどっさり米がとれて、おかげで和夫は、農繁休の甲斐があってョ。」∵
「ちぇっ!」
和夫は苦笑で舌打ち。
兄と姉はげらげら笑った。
だが、父たちが稲刈りに出かけてしまうと、母は、内密のようにいった。
「和夫。来年も、今年みたいに豊作だったらお(は、和夫を、高等学校へやってくれるそうだよ。」
「ほんとか?」
和夫は、目をみはった。それは、まんざら予期しないことではなかったが、しかし、今日、母の口から聞くのは意外だった。
 実は昨日、農繁休暇についての注意のあとで、担任の平野先生が、高校進学希望者を調べた時、和夫は、一たん肩のあたりまで挙げた手を、ひょいとおろしてしまったのだ。それにひきかえ、並んでいる白石昇は、確信に満ちて手を挙げた。それは和夫にとって、まるで夢のような一場面だった。というのは、戦後、外地から引き揚げてきて、荒れた常陸野の一角に開墾の鍬をおろし、やっと雨露(あめつゆをしのぐ掘っ立て小屋に、ランプでくらしている開拓農家。昇の家もその開拓農家の一軒だったからである。
 和夫だけではない。昇が手を挙げた瞬間、二年二組の四十六人は、あっ、といっせいに呼吸(いきをのんだ。みんな、出し抜かれたような気がしたのだ。

住井すみいすゑ『生きて行く』)

○■ / 池新