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課題集 カキ3 の山

★自由(じゆう)な題名(だいめい) / 池新
○家族(かぞく)の長所 / 池新


○紅茶の歴史 / 池新
 私たちが飲むお茶には、緑茶、ウーロン茶、紅茶など、いろいろな種類があります。これらの違いは、お茶の葉の種類によってではなく、作り方の違いによって決まります。現在、世界で生産されているお茶の八割は、紅茶です。日本や中国では緑茶がよく飲まれていますが、ヨーロッパやアメリカでは、お茶といえばほとんどが紅茶です。特に、イギリス人の紅茶きは有名で、イギリスの人たちは、朝起きたときから寝るときまで、一日に何杯なんばいもの紅茶を飲むそうです。では、お茶はどのようにして世界中に広まっていったのでしょうか。
 中国では、今から二千年以上前に、すでに緑茶が飲まれていたようです。最初のころ、お茶は不老ふろう長寿の薬として飲まれていました。つまり、お茶を飲めば、年をとらないと信じられていたのです。その後、しだいに発酵させたお茶であるウーロン茶なども作られるようになりました。
 今から四百年くらい前、当時力を持っていたオランダが、中国から緑茶を輸入するようになりました。オランダ人の王様や貴族たちは、高価な苦いお茶に、さらに高価だった砂糖を入れて飲んでいました。
 このオランダから、イギリスにもお茶が伝わりましたが、そのころ緑茶は大変に貴重なもので、イギリスの貴族たちは、カギのついた入れ物にお茶を保管していました。
 今から三百年くらい前になると、イギリスの国の力が増し、イギリスはオランダに代わって、中国から直接お茶を輸入するようになりました。イギリスの水には、発酵させたお茶の方が合っていたこともあって、緑茶よりウーロン茶などの方が好まれるようになっていきます。イギリスの王様や貴族たちが競って飲んだことから、お茶はイギリスの習慣として広まっていきました。∵
 紅茶が発明されたのは、やはり中国で、ウーロン茶をさらに改良したものでした。それがイギリスをはじめ、ヨーロッパで広く飲まれるようになっていきました。しかし、すべてを中国から輸入するのでは、とても消費に追いつきません。そこで、なんとか自分たちでお茶の栽培ができないものかとイギリスの人たちは考えました。
 十九世紀の初め、イギリスの植物学者が、インドでアッサムしゅというお茶の木を発見しました。しかも、このアッサムしゅは、紅茶にたいへん向いていたのです。イギリスはここに大規模な茶畑と工場を造り、ここから本格的に紅茶の生産が始まりました。こうして、紅茶は一部のお金持ちだけのものではなくなり、みんなが手軽に飲める飲み物になっていったのです。
 日本には、明治時代に、イギリスから紅茶が輸入されました。しかし、日本では緑茶が好まれていましたから、紅茶は当時あまり普及せず、広く飲まれるようになったのは、昭和に入ってからです。そのころには、日本でも国産の紅茶が作られるようになっていました。
 ちなみに、英語では、紅茶は「レッド・ティー」ではなく「ブラック・ティー」と言います。あるイギリス人は、「緑茶はまずくて飲めない」と言っていました。「海の藻みたいな味がする」のだそうです。「藻なんて、モー飲みたくないよ」ということでしょうか。紅茶を飲みながら、「やっぱりお茶はこうじゃ(紅茶)なくっちゃ」と思っているのかもしれません。

 言葉の森長文ちょうぶん作成委員会(τ)