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課題集 フジ3 の山

○自由な題名 / 池新
○うれしかったことや悲しかったこと / 池新
○もうすぐクリスマス / 池新

★当時、私たち兄弟は / 池新
 当時、私たち兄弟は家の二階の八畳間二つをそれぞれ勉強部屋と寝室にしていつも二人並んで暮らしていたが、机のある部屋の天井にはいつしか弟の作った模型飛行機がびっしりつるされていた。模型といっても物の乏しかったあの頃、子供の遊びやそのための玩具はすべて自前だった。
 弟の作る模型飛行機はどれも完全に彼の創意で設計され、かろうじて手に入ったひごとか細い木材をさらに自分でけずって曲げながら作っていた。模型作りはその頃のはやりだったが、弟の作品は子供ながら見事なもので子供たちが手製の作品を持ち寄って競う中ではいつも出色しゅっしょくだった。私はその種の手のかかる作業が苦手で、作品を完成したことがない。
 そのせいの嫉妬ではないが、多少のいまいましさもあったろうか、ある時弟の成績がひどく下がって父が彼をしかった折、彼よりは一応父を満足させられる成績を収めていた私が父に、弟の成績低下の最大の原因はあの模型作りで、あれをやめさせぬ限り彼の成績はおぼつくまいといいつけた。
 父もうなずいて弟に模型作りを禁じ、いきなりではなかったが、それでも趣味をやめぬ弟へのみせしめにやがて、天井から外して乱暴に束ねた紙張りの飛行機を庭で火をつけて焼いてしまったことがある。その頃何ものにも替え難い手作りの模型たちは、あっけないほど簡単に燃え上がって灰になった。
 その横で弟は、そんな親のせっかんを自分のとがとして納得しなくてはと思いながらも諦めきれずに、目に一杯涙をため、懸命に唇をかみしめながら立ちつくしていた。
 父にとっては他愛のない子供の玩具だったろうが、弟が渾身それに打ち込んできたのを間近で眺めていた私にはなんともつらい光景だった。そして、それが実はさかしげな私の讒言でもたらされたことを弟以上に私は心得ていた。父にとっては親として当然の仕∵置きだったかも知れないが、私にとってはたかだか学校の成績のために、弟への一番つらいせっかんを父にとりもった自分がにわかにおぞましく許せぬものに感じられその段になって恥ずかしくなったが、黙ったままでいた。
 私がすぐに放りだしてしまうような粗末な素材を、いとおしむように神経こめながらロウソクの火にかざし、少しずつ少しずつ曲げて整え、満足そうに一人でうなずきながらまた次の作業に目を細めていた弟の姿が今でも目に浮かんでくる。
 弟の作った模型飛行機について、もう一つ鮮烈な記憶がある。
 父の懲罰からしばらくして、またまた独自の設計で弟は風変りなかなり大型の飛行機を作った。戦争前に長距離飛行の世界記録を作って有名だった理研の試作機に似て、胴長で翼が長く幅広い不思議なプロポーションの飛行機だった。
 家の前の道路での試験飛行では、細長い胴体にたわわに張ったゴム紐を半ばも巻かぬのに、新作機の飛び具合は絶好だった。弟は満足そうで、突然、集まった仲間に向かってその飛行機を家の前の高い丘の頂上から風に乗せて飛ばすといい出した。
 思っても胸ときめく試みだったが、せっかく作った飛行機がどこへ飛んでいってしまうかわからず、尽くした努力があっけなく消えてしまいかねない。私はしたり顔で説いて止めたが弟はとりあわずに仲間を従えて丘へ上っていった。
 丘の上には下で見るよりも格好の風が吹いてい、弟は長い胴体にかけたゴム紐をゆっくりと一杯に巻き上げてかざすと、風に乗せるように少し上向きに角度をつけて放った。飛行機は身震いするようにして舞い上がり、そのまま見事に風に乗って我々のいる頂よりも高い高度を真っ直ぐ町に向かって飛んでいった。
 それは予期したよりはるかに素晴らしい見ものだった。ゴム仕掛けの動力の威力は知れたものだったが、バランスのとれた大きな機体はかなりの風にもめげずうまくそれに乗って悠々と安定した∵滑空をどこまでも続けていった。ただの模型飛行機が飛んでいくとはとても思えぬ、日頃見る、近くに多いとびたちの滑空と同じように見事な、完全な飛翔だった。
 すでにプロペラは止まっているが、一向に機首を下げぬ模型飛行機は奇跡のようになお飛び続けていった。仲間も私もただうっとりと息を凝らしながら見入っていた。そして、やがて飛行機がゆるやかに下降しだし、眼下に続く大きな松林の彼方の町並みに消えていった時、みんなは一斉に喚声を上げながらその飛行機を取り戻すために丘を駆け降りていった。
 しかし、なぜか弟だけはみんなの後を追わず、私が促しても、あれはもういいのだというようにただ首を振って笑っていた。それはいかにも、あの模型とは思えぬ素晴らしい、生命をさえ感じさせる傑作を一人で作りだした男の自負と自信に満ちた表情だった。そして、彼だけが、自分の手になったあの飛行機の底力を誰よりも知っているが故にも、あの飛行機がもう誰の手も及ばぬはるか彼方まで飛び去ったことをさとっているようにみえた。
 私は初めて目にする、圧倒的な存在感のある誰か大人を眺めるようにそんな弟の様子をうかがっていた。子供のくせに彼一人が泰然として浮かべている笑顔の意味が私にはどうにも解せぬものだった。強いて想えば、それは、子供たちの中にあって一人彼だけが、ぜいたくな悦楽のために高価な代償を甘んじて受け入れることが出来る、ひどく大人びて孤高な雰囲気だった。

(石原慎太郎「弟」)