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課題集 フジ3 の山

○自由な題名 / 池新
○お父さんやお母さんと遊んだこと / 池新
○続けるということ、私の好きな日 / 池新

★当時の私には、 / 池新
 当時の私には、なぜこの時こんなひどいめにあったのか、その理由はまるで解らなかった。またそれを考える意識さえも持たなかった。しかし私と兄と二人の中で、なぜ自分だけが殊更あんなに打ったり蹴ったりされねばならなかったのか。その点について私は子供心にも淡い不満を感じていた。そしていつの間にか、私は父のこの行為を、一切理屈ぬきの持病の結果にしてしまった。もちろんそれは一面においてたしかに病気の結果には違いなかったが、しかしその反面に横たわる他の原因、すなわち病的な父の心を刺激したその直接の動機に関しては、私は長い間全く無関心だった。ところがつい先頃、私は何の気なしに父の全集を拾い読みしながら、ふと次の数句に気をかれた。それには、
「……私の小さい子供などは非常に人の真似をする。一歳違の男の兄弟があるが、兄貴が何かれと云へいえば弟も何か呉れと云ふいう。兄が小便がしたいと云へいえば弟も小便をしたいと云ふいうすべて兄の云ふいう通りをする。丁度其後そのあとから一歩々々ついて歩いて居る様である。おそるべく驚くべき彼は模倣者である。」
 私はこれを読んだ時、ちらっともう二十数年も前に起こったあの出来事を、どういうものか咄嗟の間に思い起こした。そして父のあの時の恐ろしい激昂げきこうの原因が、何かこの数語の中に含まれているような心地がした。恐らく父は生来の激しいオリジナルな性癖から、絶えず世間一般のあまりに多い模倣者達を――、平然と自己を偽り、他人を偽る偽善者達を――心の底から軽蔑もし憎悪もしていたに違いない。
 従って父は私の極端な模倣性を見るにつけ、その都度苦々しい不快の念を禁じ得なかったとも考えられる。またその苦々しい不快の念はいつか病的な父の心に鬱積して、兄と同様はずかしいからと射撃を拒み、その上なおも仕種しぐさまで同じように父の袖の下に隠れようとした私に向って、遂に猛然とその怒りを爆発させてしまった∵のではなかろうか。しかも父の真実性に対する渇ききった執着と、周囲を取巻く偽善者への忿懣は病気の進むにつれて必ず加速度的に異様な方向へ進展して行くのが常だった。正常における真実性への渇仰も病気に伴う極度の警戒心にゆがめられて、いつか、だまされはしまいかという不安に満ちた疑惑に変り、その疑惑はたちまち、人は自分を瞞そうとしているのに違いないという奇怪な断定にまで到達する――たしかに父の病的な心理の推移は、一面こうした経路をたどって逐次悪化して行ったのに相違ない。しかも、兄に倣って、父の袖の下にかくれようとした私は、不幸にして「おそるべく驚くべき模倣者」であり、自分から撃ちたい撃ちたいとせがみながら、いざ撃てとわれれば嫌だという、許すべからざる偽善者であり、さらに意識的に父を欺いた憎むべき小忰こせがれだったのである。

(夏目伸六「父 夏目漱石」)