昨日795 今日211 合計156827
課題集 フジ3 の山

○自由な題名 / 池新
○野山に出かけたこと / 池新


★私の友人に / 池新
 私の友人に長い間アメリカに留学した男がいる。彼の話によればアメリカの生活で一番困ったことの一つは、アメリカ人の日本人に対する先入観であった。日本人はみな庭園の整理が上手だと思われているから、彼も庭園の専門家としての意見を絶えず問われた。日本人はみな水泳が上手だと思われているから、彼がプールに入ると多勢の学友が見物に来、大いにがっかりしたこともある。以上のようなアメリカ人の日本人に対する先入観の例はおびただしい。
 日本に来てから、私も度々日本人の外人に対する先入観にぶつかったことがある。例えば、私のことが新聞に出るときには、必ず「碧いあお眼」という形容詞も出る。初めのうちは、私は何とも思わなかったが、段々疑問が高まり、万一私の眼があおくなかったと思って鏡で眼の色を調べた。だが、ちっともあおくはなかった。かわいらしい先入観であるが、私の眼のあおさを楽しみにしていた人が本物を見れば、がっかりするであろう。
 こんな無邪気な先入観にも困ることもある。私は西洋人としては小さくて、日本人としても大きい方ではないが、西洋人はみな巨人だという先入観があるから、私が日本式の宿に泊るときは、ほとんどいつも巨人向きのスリッパや巨人向きのどてらをくれる。そして私の貧弱な身体を見て、「やっぱりあちらのお方は体躯が立派どすな」と(皮肉ではないように)いうおばあさんもいる。赤面するほかはなかった。
 以上の場合には、実物を見ても先入観の方が強いから、実物に応じて処置をとるかわりに、実在のない先入観によって巨人のスリッパを出したり、私の「立派」な体躯を観賞したりすることが多い。私だけなら、もちろんどんな間違ってもかまわないだろうが、もしも日本人が外国へ行って自分らの先入観を通じて外国を見、先入観を外国の実在として報告すれば、非常に困ることがあると思う。
 一例を挙げよう。「英国は耐乏生活の国だ」という誠にありがたい先入観がある。英国へ行く日本人の多くは、ロンドンの料理屋で∵まずい食物を食べて、「なるほど、イギリスの耐乏生活だな」と思うらしい。戦争直後には「耐乏生活」は事実であったが、現在はイギリスの料理屋の食事がまずいのは、コックさんやお客に帰すべきもので、耐乏生活とは全く関係がない。戦前に比べれば今の料理屋はましだという英国人さえいる。しかし、一般の英国民衆は日本人とちがって、おいしいものにあまり興味を持っていない。ある戦前の調査によれば農村の人たちにとって酢をかけたカンヅメの鮭は何よりの御馳走であった。狭い海峡の向うにあるフランス人となんとちがうことだろう。ともあれ、耐乏生活の時代も今も英国ですばらしい御馳走になるのは決して不可能ではない。一般英国人向きの料理屋にはないだけの話である。
 「英国人は紳士だ」というのは結構な先入観であり、たしかに根拠のないことではない。しかし、もしその必然の帰結として、他の外人は紳士的でないことになったら、また困る。私自身についていえば、私はアメリカで生まれて、アメリカで育てられてから、渡英とえいしてケンブリッジ大学の教師になった。私がケンブリッジ大学の教師だから、英国人だと日本人が思うのも無理はない。大体の場合は、しばらく話しあってから日本人の相手は「あなたはアメリカ人とは全然ちがいますね。やはりイギリスは紳士の国です」といってくれる。しかし、初めから私がアメリカ人だと知っている日本人は私の紳士らしさにうたれないようである。同じ私が先入観によって、紳士と見られることもあるし、単なる毛唐と見られることもある。アメリカ人であることを隠す誘惑に負けやすい。

(ドナルド・キーン「(あおい眼の太郎冠者(かじゃ))