昨日582 今日1396 合計161221
課題集 ヒイラギ3 の山

○自由な題名 / 池新
○私の好きな遊び / 池新
○私の好きな場所、私のくせ / 池新
○私の好きな時間 / 池新
○私は、小学校の頃 / 池新
「お母さん、ごめんね。僕丈夫になるよ。そして大きくなったら、きっと幸せにしてあげるからね」
 という、ちょっと泣かせるような言葉で結んだ。題名は『母との約束』とした。
 一ヶ月ぐらいたった後、私は職員室に呼ばれた。当時の学校の先生というのは、謹厳実直、聖人君子であり、先生の言うことは、絶対に間違いなかった。私の担任は、若い男の先生だったが、ニコニコしながら、 
「関口君、君が書いた『母との約束』という作文ね……、あれ、横浜市の作文コンクールで入賞したよ。君、うまいんだね、作文が。これからも頑張りな……それから、これ賞品」
 と言って、先生がちょっと変わった事をする時の癖である、メガネをひょいと持ちあげて、「賞」と入った大学ノートを渡してくれた。
「ただね、この作文はこれから県の大会とか、いろんな所に回すんだ。だから、この事はご両親にも、誰にもいっちゃいけないよ。先生と君だけの秘密だ」
 と言われた。私はちょっとおかしいなと思ったが、「賞」と入ったノートがうれしくて、
「はい」
 と答え、自分の席に戻った。
 私はそのノートの隠し場所に苦労した。両親にも言ってはいけないという。そのためあれこれ考えたすえ、結局、自宅の自分の机のいちばん奥にしまっておく事にした。余程、母だけには言おうと思ったが、先生の言うことは絶対だと思い黙っていた。
 ただ、毎日のように、私はそのノートに触り、感触を楽しんだ。不思議なことに、そのノートにふれると文章がうまく書けるようなきがした。そのため誰もいない時だしてみると、しょっちゅう触るため、一行も書かれていないノートではあるが、表紙だけは真っ黒になっていた。
 そのノートは少なくとも小学校を卒業するまではあった。が、家の引っ越しのドサクサかなにかに紛れたのか、いつのまにかなく∵なってしまった。
 しかし、この作文の「入賞」は、何も取り柄がなかった私にとって大きな自信になったし、また先生との秘密を守れたということが、いつも私の心の支えとなっていた。
 中学に入る頃から、私は丈夫になり、体も大きくなって運動も人並みに出来るようになった。また、すべてに積極的になり、受験勉強などしているうちに、書く時間もなくなり、いつの間にか書くという特技はなくなってしまった。
 しかし、この頃になると、例の作文の「入賞」はおかしいなと思うようになった。表彰状もないし、第一あのノートも、「賞」とは記してあるものの、運動会か何かの賞品の残り物のように思えてならなかった。しかし、それはそれでよいと割り切っていた。
 先生との秘密の約束はいつになっても私の心の支えであり、今の自分があるのは先生のお陰だと感謝していた。そして、先生とお会い出来る機会でもあったら、その時にでも事実をお聞きしようと軽く考えていた。
 あるパーティの席で、私は例の先生にお会いするチャンスに恵まれた。
 先生は六十をとうに超えられていたが、私のことは覚えておられた。私は今日こそ、例の件を確かめる絶好の機会だと思ったが、先生の方から声をかけられた。
「噂で聞いたよ、銀行の支店長になったんだってね。……いや立派、立派。そういえば、君は子供の頃から、人の言うことを信じて疑わない素直なところがあったな……。良かった、良かった。まあ一杯どうだ」
 私は、
「有りがとうございます」
 と、深々と頭を下げ、それから一気に飲み干した。
 目頭が熱くなるような、ツーンとするビールだった。
 (関口清「先生」)