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課題集 ヒイラギ3 の山

○自由な題名 / 池新
○私の入っているクラブ / 池新

○暑い日の思い出 / 池新
○春太は、さっきから / 池新
 春太は、さっきから何度も、まり投げの仲間に入れてくれよと頼んだが、彼は受け入れてもらえなかった。
「くやしかったら、ひとりでおやり。」
「ハッちゃんとやればいいものを。」
 ハッちゃん……。
 春太はこのようなしんらつなものを、期待していなかった。彼の顔は、まっかになってしまった。すると、それをあおるように、最後にアサコが、
「ハッちゃんと、仲よしだもんね。」
といった。
 しかし、アサコはさすがに、日ごろから春太と二人きりで遊ぶ手前があるので、面と向かってはいえなかった。それで、まりをほうりながら、それを受け止める相手に向かって、同意を求めるようにいった。
 アサコまでが、それを信じているとは。――春太はもうがまんできなくなった。春太はハツなんかと、何でもありゃしない。鉛筆を貸してやったのは、好きだからではないのだ。級長であることの責任感から貸してやったにすぎないのだ。
 春太は一人一人捕まえて、彼女らが信じていることは、根も葉もないうそであると納得させてやりたい衝動を覚えた。それは無駄な努力にすぎない。なぜなら、一人一人を捕まえてみれば、春太に征服されてしまうのであるが、集団に返れば、再び手に負えないものに逆もどりするのであるから。
 春太はハツと仲よしだなどといわれるのが恥ずかしくもあり、くやしくもある。そのとき、持っていき場のないふんまんは、何というよいはけ口を与えられたことであろう。アサコの手をそれたボールが、春太の足もとに転々と近づいてきた。
 しめた。――アサコが追っかけてきて、手を伸ばしかけたところを、横からやにわにボールを奪い取ると、春太は楠を回って、宝蔵倉の方へ逃げ出した。返してよ、返してよ。ざまあ見ろ、思い知ったか。
 ところで、春太がアサコに追われて、宝蔵倉の前の、だれもいないところまで来たとき、事態はへんてこになってしまった。アサコ∵は真剣になって、ボールを追ってくるのだ。彼女はボールのみを念頭において、そのボールを奪った春太を追っかけてくるのだ。春太の気持ち――仲間に入れてくれないばかりか、ハツの名まで持ち出して、いやがらせをいった腹いせなど、彼女は忖度そんたくする余裕をまるでもっていないのだ。もし、まりを失うようなことになったら、アサコはその場で泣きだすかもしれない。しかし、春太はこのままおとなしく返してやる気には、どうしてもなれない。そのようにばつの悪いことが、できるものではない。
 もう、どうにでもなれという気持ちがわいた。春太はボールを宝蔵倉の横から、坂の下の方へ力いっぱい投げた。二人は坂を一気にかけ下りて、ほとんど同時に、ボールの場所に到着した。そして、二人はそこで、はからずも鉢合わせをしなければならなかった。それははげしい衝突だった。
 アサコの額は、こんなにも固かったのか。――春太はめまいを感じて、そこに膝をついてしまっていた。二人は二人の間のボールを取ろうとしなかった。そして、痛みの去るのを待っている間、相手を互いに眺め合っていた。何というこっけいな場面だろう。
 春太はおかしくなって、ちょっと笑ってみた。するとアサコも、それに応じた。二人は同時に笑い出した。
 春太は、そのような変な巡り合わせの場所で、今までアサコとの間には、一度も存在したことのなかった、ある平和な気持ちが生じていることを感じた。それはまさしく、アサコも感じているものに違いなかった。二人のもっている真実の面が、ぴったりと重なり合って、そこに生じる和やかな美しいリズムであった。
 春太は、ついさっきまで抱いていたふんまんや腹いせや、それに伴う快感など、そうしたもの一切が、春光につつまれた雪塊せっかいのように、跡かたもなく溶け去っていくのを感じた。
「ごめんね。」
と、アサコが立ち上がるときいった。春太も、何かわびたいような気持ちがあった。しかし、春太は微笑して、首を左右に振った。
(新美南吉「まり」)