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課題集 ヘチマ3 の山

○自由な題名 / 池新
○ひなまつり / 池新
★がんばったこと、料理を作ったこと / 池新

○日本人の平均寿命も / 池新
 日本人の平均寿命も随分と長くなった。われわれが子どもだった頃は、六十歳などというとまったくの「おじいさん」と思ったものだ。七十歳は現在では、「古来稀なり」とは言えなくなってしまった。七十歳を超えて生きる人の方が多くなったのである。余程のことでもないかぎり、人間は誰しも長寿を願うのだから、このことは大変喜ばしいことだが、喜んでばかりもいられないというのが、実状ではないだろうか。というのは、寿命の延びた老人たちがいかに生きるか、という問題が生じてきたからである。
 私は、二十年ほど以前に、はじめてアメリカに行ったとき、非常に印象に残ったことのひとつに、公園にたむろしている老人たちの姿があった。昼の公園には、多くの老人たちが坐りこんでいて、何もせずにじっとしているのである。つまり、彼らは社会からも家族からも「無用の人」とされ、ただ時間をつぶすために公園にいるのである。その当時、日本はまだ物資の不足に悩んでいた。しかし、日本の老人たちの方がアメリカの老人たちより幸福なのではないかと感じたことを、今もよく覚えている。
 ところで、日本もその後急激な発展を遂げ、「先進国」の仲間入りをしたわけだが、それに伴って老人の生き方の問題も大きくなってきたわけである。文明が進むと、どうして老人は不幸になるのか。それは、文明の「進歩」という考えが、老人を嫌うからである。文化にあまり変化がないとき、老人は知者として尊敬される。しかし、そこに急激な「進歩」が生じるとき、老人は、むしろ進歩から取り残されたものとして、見捨てられてしまうのである。
 近代科学は、その急激な進歩によって人間の寿命を延ばすことに貢献しつつ、一方では、それを支える進歩の思想によって、老人たちを見捨てようとしている。この両刃もろはつるぎによって、多くの老人が悲劇の中に追いやられているのである。
 老人が、ただ年老いているというだけで尊敬される時代は過ぎてしまった。そこで、老人たちも「進歩」に遅れてはならないと思∵う。老人たちは、そこで「いつまでも若く」ありたいと思いはじめた。若者に負けない力をもっていてこそ老人は尊敬を受けるのだから、老人も若さを保つ努力をしなければならない、というわけである。しかし、そんなことは可能であろうか。
 最近、私はスイスの精神療法家のユングについて、『ユングの生涯』という伝記を書いた。そのとき非常に心を打たれたのは、彼の主著と呼ぶべき多くの著作が、七十歳以後に書かれていることを知ったことであった。彼は八十六歳で死亡するが、死の一週間前も、なお机に向かって書きものをしていたという。彼がこのような力を年老いても保つことのできた秘密はどこにあるのだろうか。
 ユングは「人生の後半」の意味の重要性をよく強調する。人生を太陽の運行の軌跡にたとえるなら、人間は中年においてその頂点に達し、以後は「下ることによって人生を全うする」ことを考えねばならない。人生の前半においては、上昇が中心の主題であり、社会的地位や家庭などを築くことが大切であるが、人生の後半においては、「いかにして死を迎えるか」に思いを致すことが重要である、というのである。生きることは、もちろん大切であるが、中年以降において、人間はいかに死への準備を完成してゆくかが大きな主題となるのである。
 これは聞く人によっては、奇異な感じを受けるかもしれない。七十歳を超えてから、壮者も顔負けの多くの仕事をなしとげた人が、いかに死ぬかということを強調するのは、なんだか矛盾するように感じられないだろうか。しかし、実のところ、この点に老いることの逆説が存在しているように思えるのである。
 われわれは「老い」を避けることができたとしても、「死」を避けることはできない。従って、いかに死を受けいれるかは、いかに老いるかの中心問題であり、ここに不思議な逆説が存在していると思われる。
 癌の宣告を受け、手術不能と言われてから、医者の予期に反して長く生き続ける人があることは、最近よく知られるようになった。∵このような点を研究したあるアメリカの心理学者は、興味深い結果を見出した。つまり、癌の宣告を受けて、まったく気落ちした人は早死にする。それと同時に、何とかこれに負けずに頑張り抜こうと努力する人も早死にすることがわかったのである。
 それでは、長命する人はどんな人であろうか。このような人は、癌に勝とうともせず、負けることもなく、それはそれで受けいれて、ともかく残された人生を、あるがままに生きようとした人たちであった。これはもちろん、言うは易く、行なうは難いことである。しかし、勝負を超えた生き方が存在し、そこに建設的な意味があることを見出したことは素晴らしいことだ。
 人間は必ず死ぬのであってみれば、人間はすべての進行の遅い癌になっているようなものである。若者の戦う姿勢を老いてそのまま持ち続けることも、弱気になってしまうのもよくない。しかし、そのいずれでもない「死の受けいれ」こそが、われわれの老年をより生き生きとしたものとするのではないだろうか。ここに老いの逆説が存在しているように思う。
 このように考えると、中年のときから死に思いを致すべきだと主張したユングが、死の直前まで、仕事をやり抜いた秘密もわかる気がするのである。いかにして若さを保つかに努力するのではなく、いかにして死を受けいれるかに力をそそぐことが、老いてゆくためには大切であり、その仕事は個人個人が中年から始めていくべきことである。これについては近代科学は解答を与えてはくれない。

(河合隼雄「働きざかりの心理学」)