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課題集 ヘチマ3 の山

○自由な題名 / 池新
○新学期、冬休みの思い出 / 池新
○成績が上(下)がったこと、忘れ物をしたこと / 池新

★帰国生の教育体験調査を / 池新
 帰国生の教育体験調査をつづけるうちに、日本と欧米の授業方法の違いが、だんだんにはっきりしてきました。それを、あえて一言でいえば、欧米では獲得型授業が、日本では知識注入型授業が一般的だということになります。
 では獲得型授業とはどういうものなのでしょうか。もう少し詳しく考えてみましょう。獲得型授業には二つの面が含まれます。一つは、生徒が自主的に学んでいけるように、その学び方を訓練していくことです。生徒一人ひとりが自分でテーマを決め、ある課題にとりくんでいくなかで、内容を学ぶだけでなく、リサーチの仕方も身につけてゆくというものです。生徒が自ら学ぶという意味で、これを「自学の訓練」とよんでもよいものです。たとえば、日本の学校の提出物にはレポートという一つの言葉が使われているだけですが、アメリカではプロジェクト、レポート、エッセー、リサーチ・ペーパーなどのようにたくさんの言葉が使われています。こうしたことからも、いかに自分で学ぶ学習がさかんに行なわれているかがわかるはずです。
 獲得型授業のもう一つの側面は、参加型の学習です。授業のなかに生徒の発言、発表、討論などをさかんに組みこんで、生徒の授業への参加をはげますものです。よく言われることですが、欧米の授業では、先生がたえず「きみの考えはどうか」と生徒に問いかけ、意見の表明を求めます。また、講義式授業であっても、その途中から、即興ディベートに移っていくことなどもけっして珍しいことではありません。
 もちろん、調べたり、書いたりする自学の訓練の側面と、発表したり、討論したりする参加型授業の側面とは、たがいに密接に関連し合うものです。調べたり、書いたり、発表したり、討論したりすることは、一連の学習活動となっているのです。そして、地球時代を迎えたいま、若者に求められる資質は、こうした獲得型の学習のなかでこそ育ってくるものなのです。日本に教育方法の国際化が必要だという理由は、こうしたことにもあらわれています。
 では一方、日本の授業として一般的な、知識注入型授業とはどのようなものでしょうか。その基本形態は、私たちが日ごろよくな∵じんでいるもの、つまり一斉講義式の授業です。この授業では先生が教壇の上から生徒に知識を注ぎこみます。まるで、花に水を注ぐように。知識は高いところから低いところへと流れていきます。生徒は懸命に板書内容をノートし、どれだけ内容を暗記できたかについて、試験でチェックを受けるという方式です。
 この形態の授業は、たくさんの生徒に、系統的な知識を、限られた時間で、しかも大量に伝えるには有効な方法です。その意味では効率的な授業方法だと言ってもよいかもしれません。
 このため、知識注入型授業は、日本と同じように一クラスあたりの生徒数が多い韓国、中国、台湾、シンガポールなどのような東アジア諸国でもごく一般的な形態になっています。ただ、知識注入型の授業では、どうしても生徒側は受け身の姿勢に終始してしまいがちです。獲得型の授業に慣れた帰国生が、知識注入型の授業に参加感がもてないという感想をもつのも、こうしたところからきています。
 日本でもそうですが、いまあげたこれらのくにでは、授業で国定・検定教科書を使い、ほとんど同じ内容を全国一斉に教えています。またいずれの国にも激しい受験競争があり、勉強すること自体が受験のための手段となっている状況が見られます。
 ですから、いまの知識注入型授業から獲得型の方向へむけて授業の形態を移しかえていくことは、けっして容易なことではありません。なにしろ、働いている制約条件があまりにも大きいからです。しかし、そうはいっても国際化の波がおしよせるにつれて、知識注入型授業にもとづくつめこみ教育の弊害が、いよいよはっきり見えるようになったことも事実なのです。

(渡部淳「国際感覚ってなんだろう」)