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課題集 ハギ3 の山

○自由な題名 / 池新
○わたしの長所 / 池新
★清書(せいしょ) / 池新

○今年の秋、ウィーンの楽友協会ホールで / 池新
 今年の秋、ウィーンの楽友協会ホールで武満徹さんの新作クラリネット・コンチェルトがウィーン・フィルハーモニーによって演奏される。二百年前、モーツァルトのクラリネット・コンチェルトがウィーンで初演奏されたのを記念する催しで、百年前には同じ趣旨でブラームスがクラリネット五重奏を作曲していることを考えると、これは日本の音楽界だけでなく日本にとって大きな出来事だと思う。おそらくわが国の文化芸術の分野でこれに匹敵することはかつてなかったし、今後もそうそうあることではなかろう。(中略)
 製紙会社の会長と作曲家武満とのかかわり合いを不思議に思われる方もあると思うが、家内同士が学校時代からの親友で、武満さんが二十歳を過ぎたころから家族ぐるみのお付き合いをしてもう四十年にもなろうとする。だからといって私は彼の音楽をいっこうに理解するものではないが、今回世界の存在とまでなった武満さんの人生の来し方を眺め続けてきた者として、その人間的バックグラウンドを語ってみたい。
 何よりもまず自分の道を自分のやり方で歩いてきた人である。作曲家としても徒手空拳、自ら一家をなしたので、音楽学校へいったわけでも特定の師についたのでもない。本当に才能のある人は既成概念で教育など授けないほうがよほど純粋に成長できるという真理を彼もまたわれわれに示してくれた。大江健三郎との共著「オペラをつくる」の中で彼はこういっている。
「ぼく自身が音楽家としての四十年、音を表現媒体として、自分でしか言い表せないようなことを表す。……音楽といってもその表現のスタイル、形式は多様で、たんに慰めや娯楽のための音楽であれば、時代の人たちが喜ぶような表現方法はあるように思います。しかし、ぼくがやっている音楽はそういうものでなくて、音というものを通して人間の実在について考える。どちらかというと、詩とか哲学とか、そうしたものに近い表現形式として音楽をやっているわけで、これがいちばんむずかしいところなんですね」
 創造性と個性、いまの日本人にこれほど求められているものはない。∵
 武満さんはまた世界人であると同時にすぐれて日本人である。彼の作風からもこのことはよくうかがえる。代表作であるノヴェンバー・ステップスには和楽器である琵琶と尺八が取り入れられ、本来西洋のものであるコンチェルトに日本の音色を植えつけたことはあまりにも有名である。前述の本の中で彼はまた、「僕の音は西洋音楽の音とはまったく違う」とも述べている。彼の音楽は西洋の亜流ではないようだ。そこが世界の注目をひき絶賛を博しているのだと思う。(中略)
 ややしかつめらしいことを書いてきたが、多くの人々が武満さんにひかれるのは、根っからの市井人である一面であろう。立派なサイレント・マジョリティの一員、卑近な言い方をすれば熊さん、八つぁん的要素である。熱狂的な阪神タイガースファンでシーズンになると外出先でもラジオを離さず一喜一憂している。まさに日本人の判官びいきを絵に描いたようなものである。
 私は彼の背広姿をほとんどみたことがない。普通はズボンにセーター、改まったときは、ネクタイなしだが独特のスタイルのジャケットを着用している。最近、だれのデザインですかと聞いたら、これは森英恵さんですと答えた。これで日本はおろか世界中を通している。私はひそかに浴衣がけの外交と呼んでいる。あのとても頑丈とはいえない肉体で年に何回となく外国に出かけるエネルギーは聡明で献身的な奥さん、才気煥発のお嬢さん、そして猫二匹という恵まれた家庭のたまもので、これは彼の最大の作品かもしれない。市井人の常識が申し分なく働いている。ここにもいまの日本人がともすればないがしろにしがちなものがある。
 武満徹論を最後に締めくくれば、世界への道の前に日本の道があり、日本への道の前にわが道があったということであろうか。そして平凡の中に非凡があることがなんとも魅力的である。

(河毛二郎「逆風順風」)