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課題集 黄チカラシバ の山

○自由な題名 / 池新
○ペット / 池新


★俗人の耳に心地よく(感) / 池新
 俗人の耳に心地よくささやきかける思想の一つに、「パイの取り合い型」の考え方があります。「幸福のパイには一定の大きさがあって、だれかが一切れ取れば、その分だけパイは減る」という考え方です。
 受験の合格者定員などを考えると、そのようにも思えますが、この考え方にあまり深くかかわってはいけません。優れた成績を収めてよい学校に入ることができた人は、世の人々の期待を背負って、より多くの人のためになるような人生を生きればよいのです。
 国公立の学校はもともとそのような趣旨で設立されたものです。「貧しい家庭の子弟でも、勉強がよくできる子については、税金で面倒を見て、安い学費で高等教育を受けられるようにし、人々の役に立つ人材を社会に供給しよう」という考え方だったのです。
 その考え方は、現在でも、ある程度は残すべきであり、税金で運営されている国公立大学で学んだ人は、「多くの人々の税金によって教育を受けたのだから、社会にお返しをしなければいけない」という気持ちを持つことが必要です。
 また、私立大学も税金による援助をかなり受けているので、私立の学校へ行った場合であっても、自分のお金だけで教育を受けたわけではないのです。
 このように、国公立、私立を問わず、多くの人の税金によって賄われている面があるので、学校教育を受けた人は、「お返しをしなければいけない」という気持ちを持つことが大切です。優れた学校に進んだ人は、それだけの義務を負っていると思わなければいけません。
 そして、「自分はパイをもらえなかった」という人も、それについて愚痴をこぼすのではなく、「パイは何枚でもつくれるのだ」と考える必要があります。
 「パイを八つに切り、八人が一切れずつ取ったら、パイはなくなった。そこには十人いたので、あとの二人にはパイが当たらなかった」という考え方もあるかもしれません。しかし、そのようなときには、新しいパイを焼くこと、あるいは新しいパイを見つけることが大事なのです。
 幸福になる方法は無限にあります。一つの道がふさがったとしても、それですべてが終わりになるわけではありません。「これで終わりだ」と思うような軟弱な心、惰弱な心を持ってはいけないのです。
 幸福への道は、一つの扉が閉じれば別の扉が開くようになっています。道は無限にあるのですから、あきらめずに次の道を探すことです。
 したがって、失敗した人に対しては、「失敗を糧としなさい。失敗をバネとしてリバウンドしなさい。捲土重来を期して頑張りなさい」という励ましが必要なのです。その意味で、システム的にあまりにも優しすぎることには問題があると思います。
 また、幸福感についても、自分の利己心だけで幸福を求めてはいけません。「自分の求める幸福が、すべての人々の幸福につながるように」「自分の成功によって、多くの人々にパイを供給できるように」という願いを持って、子供は教育を受けるべきであり、成績を評価されるべきなのです。
 「勉強して、よい成績を取れば偉いのだ」ということではないのです。よい成績を取れば、その結果、社会的に成功する道が開かれますが、同時にその人はリーダーとしてそれだけ多くの責任を背負い、多くの人々にお返しをしていかなければならないのです。子供には、そのような考え方を教えることが大事です。
 そのような考え方を持てば、成功した人に対する嫉妬心は弱まっていきます。いわゆるゼロサム型の考え方「だれかがパイを取ったら、ほかの人の分がなくなる」という、差し引きゼロの考え方は、嫉妬心から出てくるのです。
 「成功した人は、相応のオブリゲーション(義務、責任)、ノーブレス・オブリージ(高い地位や身分に伴う義務)を背負わなければならない。騎士道精神を持たなければならない」ということが明確であれば、成功者への嫉妬心は減っていきます。
 「成功した人はそれなりに重荷を背負うのだ」と思えば、成功の道に入れなかった人も、「われわれのためにも頑張ってほしい」という気持ちになれるのです。
 ところが、利己心にもとづいて成功や幸福を求めると、パイの取り合いになってしまいます。
 教育を考えるにあたって、この点を間違わないことが大切です。
 
 「奇跡の法」(大川隆法)幸福の科学出版
 (これは宗教団体の本ですが、宗教とは関係のない立場で今日の情勢を常識的に概括しているという点で引用しました。現代はマスコミの多くが商業主義的な報道をしているので、世の中の情勢を常識的に判断する材料が少なくなっています。したがってこのような要点を押さえた論説は新鮮に映ります。しかし、この論説の可否は当の宗教団体の可否とは全く関係がないということを留意しておく必要があります。)