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課題集 黄チカラシバ の山

○自由な題名 / 池新
○家 / 池新


★恵子さんが生まれたとき(感) / 池新
 ――恵子さんが生まれたとき、ダウン症であることはお父さんにだけ知らされ、お母さんである美恵子さんには四か月になるまで知らされなかったそうですね。
 齋藤:はい、母乳で育てていましたので、ショックでお乳が出なくなることを心配して、主人は私には一言も言いませんでした。ですから四か月の健診の日までは、ちょっとおかしいなと感じることもありましたが、可愛い可愛いと普通に育てていました。
 ――健診の日に知らされた。
 齋藤:ええ、その日主人は地方公演があるというのに、保健所まで私に付き添って来るんです。変だなと思いましたけど、保健婦さんと何かこそこそ話をすると「じやあ、行って来るから」と言って帰りました。よくわからない自分が話すよりも、専門家にきちんと話してもらったほうがいいと思って、まだ私に何も話していないことを伝えて、頼んでいったんです。
 ところが行き違いがあって、私はいきなり「ダウン症の子は育てやすいですよ」と言われて、「え、何?」と思ったらすぐに「障害児は……」と言われたので、障害という言葉に頭の中が真っ白になってしまいました。その後の言葉も、どうやって家に帰ったのかも全然覚えていません。
 ――ダウン症の知識はなかったのですか。
 齋藤:主人も私もまったく知りませんでした。家に帰って医学書を見ると、精神薄弱児とか、いろいろなことが書いてあって、「なんで?こんなに可愛い顔して、笑って泣いて、何にも変わらないのに、何が」って思いました。不欄で可哀想で、本当にいとおしいと感じました。人間って愚かですから、子どもが健康なときには、もっとこうあってほしいとか、欲が出ますけれど、病気になったときに、初めて、ただもう生きててくれるだけでいいと思うものなんですね。
 それで三日間、泣き続けました。そうしましたら一冊の本がダウン症協会から送られてきました。その中に、詩が書いてあったんです。長い詩でしたが、自分なりに要約すると次のような詩でした。
 いま天国に赤ちゃんが生まれました
 天使たちが集まって会議を開いています
 この赤ちゃんをどの夫婦に授けようかと
 そしてあなた方夫婦が選ばれたのです
 なんて素晴らしい詩を書いてくださる心の温かい方がいらっしゃるんだろうと思ったときに、どこかにいるその人に「頑張ります」って約束していました。小さいときからいつも母が「叱ってくれる人、注意してくれる人、そういう人がいたら、神様と思って、ありがとうございましたと、心の中で感謝しなさい」と言われて育ちましたから。
 齋藤:それから上の子二人を呼んで、「うちには神様の子が天使から贈られてきたんだよ」ってその詩の通りに伝えました。そうしたらまだ小学生の二人は「やったー!」なんて大喜びでしたけど、「もしかしたら恵子は、大きくなっても歩けないかもしれないし、口も利けないかもしれない。みんなと顔も違うかもしれないし、同じように学校に行かれないかもしれないよ」と伝えますと、わいわい言っていた二人が恵子のそばに来て、顔をじっと見たその目には涙がいっぱいでした。
 「お母さん、恵子可哀想だよ」「だって恵子は神様の子だから、ちょっとあなたたち二人とは違うんだよ。その代わり一人では生きられないから、みんなで大事に、大事に育てようね」って言って、私は台所に行き、泣いていました。
 しばらくして、長男がやってきて、「お母さん、まだ泣いているの、恵子死なないんでしょ?死ななきゃいいじゃない」
 その言葉がぐさっと胸に突き刺さりましたね。そう、死ななきゃいいじゃない。なのにあなたはなぜ泣いているのかって。
 ――お子さんに教えられた。
 齋藤:ええ。「死ななきゃいいじゃない」という子どもの言葉から、自分の心の中をどんどん見つめていきました。なぜ泣くのか、いっぱい言い訳をしていました。「だって恵子が不憫だから、可哀想だから」って。でもよく考えてみると恵子自身は何もわからないんですから、そんなことは泣く理由ではないんです。さらにじゃあなぜ、と自分の心を探っていくと、最後は自分が可愛いしかないんです。世間の目を気にする自分しかないということに気づかされました。
 
 「致知」二〇〇一年七月号「天使からの贈り物」(齋藤美恵子)