昨日582 今日1444 合計161269
課題集 黄チカラシバ の山

○自由な題名 / 池新
○ゴミ / 池新


★JCOの臨界事故(感) / 池新
 JCOの臨界事故、営団地下鉄日比谷線脱線事故、JR西日本のトンネル剥落事故、雪印の集団食中毒事件など、顔発する致命的な失敗には共通点が見られます。その背景には、(1)技術の成熟、(2)コストダウンあるいはリストラ対策という大きな二つの要因があるということを指摘しておきます。
 さて、それでは致命的な失敗を防ぐにはどうすればいいのでしょうか。これがいま実は経営者にとって大きな関心事になっているのです。
 大事なことは、経営者など組織の長が、致命的な失敗はいつでも起こり得るという事実を受け入れ、それを未然に防ぐための努力を愚直にやり続けることです。経営者がそういう自覚を持っているかどうかで、労働災害(失敗)の発生率は、三倍違うといわれています。
 では具体的にはどうすればいいのでしょう。マニュアル人間をつくらないことなのです。決まりきった作業だけをやるマニュアル人間は、確かにその枠内での効率を上げる「局所最適」を実現するかもしれません。しかし、マニュアル人間は、ちょっとでも条件が変われば、その状況変化にまったく対応することができません。もちろんマニュアルを作ること自体は必要なことです。しかし、マニュアルが作成されるに至った背景を理解し、それを守ることの重要性を個々のメンバーが体感していない場合には、「局所最適」は「全体最悪」となることが多いのです。
 JCOの臨界事故はその実例でした。機械で自動的に行うウラン燃料の加工システムは、臨界を絶対引き起こさない、作業者の安全を考慮したはずのものでした。それが原子力発電を取り巻く環境の変化で、コスト削減、作業効率の向上が求められるようになりました。そこで、旧システムの 〃改良〃 が、全体を理解していない偽ベテランに委ねられ、バケツでの手作業が行われるようになったのです。結果はご承知の通り。まさに、先に指摘した二つの背景のもとで、「局所最適・全体最悪」となったケースと言っていいでしょう。
 ですから、一般に社員の側に立てば、普段は局所(自分)の仕事をしていても、常に全体との関連の中でその仕事を把握しておくことが、致命的な失敗を防ぐ手立てであると言えるでしょう。
 いま「失敗学」に対する期待が次第に高まっているのも、社会的な背景があるからこそです。すべての技術は、萌芽期、発展期、成熟期、衰退期を通ります。時代の流れの中で見られる摂理のようなもので、ある技術が発展期に入ってから衰退期に移行するまでの期間はおよそ三十年程度といわれます。事故が多発する背景には、多くの企業で、技術が成熟期に入り、その技術の全体像を把握する真のベテランが不足してきているという事情があるのです。同時に、高度経済成長の時代につくられたモノの老朽化が進行したり、そのシステム自体が時代に対応できなくなってきている側面もあるのです。
 
 失敗はそれを教訓に、二度と同じ間違いをしないことで、初めてプラスの価値を生みます。失敗に学び、それを生かすためには、失敗の原因を明らかにすること、それを総括し、後の人たちが生かせるような知恵として伝えていくことが必要です。
 そのために大事なことは、まず何よりも失敗がオープンにされるということです。失敗はつい隠したくなるものです。これは人間の心理として当然だと思います。しかし、発覚した失敗を、うそをついてまで隠すことは絶対にすべきではありません。一時しのぎこそできるかもしれませんが、やはり「過ちは改むるに憚ること勿れ」です。それが結局、回復不可能な事態を招来します。これも、組織ぐるみでのりコール隠しを行ってきた三菱自動車の事例を挙げれば余計な説明は不要でしょう。「失敗」というと、ネガティブな話を避けるわけにいきません。しかし、失敗が生んだ偉大な業績ということに思いをはせてみれば、多くの成功は、まさにさらに多くの失敗の中から生まれてきたということも事実です。科学者の偉大な発明なども、例外なく失敗の積み重ねの中から生まれています。
 失敗が生んだ偉大な成果として挙げておきたい最近の事例が二つあります。それは、北海道の有珠山噴火の際に、犠牲者を一人も出さずに避難をすることができたということ、それから三宅島の雄山の噴火による全島避難です。このことを褒める人が少ないのは残念です。私はこのいずれも、過去の災害の教訓を生かすことのできた例として特筆すべきだと考えています。
 長崎県雲仙普賢岳で起きた火砕流の恐ろしさは、記憶に新しいところです。ああいうことが起こり得るということをいずれの地域の人たちもよく知っていました。有珠山では地元の虻田(あぶた)町と北海道大学の学者などでかなり以前からハザードマップを作るなどの対策が取られており、常に早目の避難がなされていたため、あれだけの噴火でも犠牲者が出なかったのです。三宅島にしても、全島避難を決断した村長や都知事、その決断に導いた学者は、立派だったと思います。特に、学者は役に立たないものの代名詞のように言われますが、あの学者は自らの判断がその人たちの命を左右するということを真剣に考えてやったのです。私も同じ学者として心から称賛を送りたいと思います。
 
 「致知」二〇〇一年五月号「いまなぜ『失敗』なのか」(畑村洋太郎)