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課題集 黄チカラシバ の山

○自由な題名 / 池新
○本 / 池新


★日本ではよく(感) / 池新
 日本ではよく、「良いデフレ、悪いデフレ」ということが言われる。「良いデフレ」というのは、経済活動が上向いていて、かつ物価が下がることだと言われる。九〇年代のアメリカ経済がまさしくそうだった。
 逆に「悪いデフレ」とは、経済活動が下がりながら物価が下がることだと言われるが、そんな議論はまったく間違いだ。
 デフレは、一国の経済政策とはなんの関係もない、世界的な趨勢で、その国の経済政策で左右できるものではない。
 デフレは、その国の景気の如何にかかわらない。デフレの中で、デフレとはなんの関係もなく、その国の景気の上下が起こる。
 いいデフレも悪いデフレもない。
 九〇年代のアメリカでは、卸売り物価は事実上、ほとんど横這いで上がっていない。消費者物価の統計というのは、時代によって品目が変化したりするから、なかなか比較が難しいが、やはり横這いと見ていい。少なくとも上がっていない。
 物価が上がらないから、アメリカのドルの価値は、依然として高い。
 世界の資金がアメリカに集まる。その動きも変化していない。
 戦争の危機がある場合は、必ずインフレになって、逆に平和と安定の時代は間違いなくデフレになる。
 インフレとデフレを決めるのは、その一点だ。
 その国の金融政策、経済政策とは関係ない。たとえば戦争がない今の時代には、どんどん貿易の自由化が進む。最近では、生鮮食料品が国境を越えて隣国へ輸出されるだけでなく、はるか大西洋や太平洋を越えて地球の裏側まで輸出されるようになった。
 戦争の時代には、ありえないことだ。
 カリフォルニアのオレンジは、イスラエルやスペインのオレンジに脅かされている。世界的な競争にさらされて、絶えず価格を下げる要因にさらされている。
 フロリダのグレープフルーツもそうだ。
 日本でも、かつては考えられないような物が輸入品として、スーパーの店頭に並んでいる。スーパーの店頭の約四〇パーセントが輸入だと言われている。もっともっと広がる。また広げようと、業者は懸命になっている。
 低温輸送のコンテナーができて、輸送中ずっと五度の低温に保てる。チリ産のナスを太平洋を越えてコンテナ船で新鮮なまま運ぶことが可能になった。
 十分に国内産のナスと太刀打ちできる。
 こういう事態が世界中で進行しているから、物価を押し上げるよりも、押し下げる要因の方がはるかに強い。
 それがデフレの正体だ。消費物資の世界的な不足でも起こさない限り、物価を押し上げることは絶望的だ。
 消費物資というのは、教え切れないほど種類が多い。個別に国産品を保護して、価格を維持しようとしても、とても手が回り切らない。
 完全に防ごうとしたら、貿易の自由化に完全に背を向けて、「鎖国」するしかない。
 つまり戦争の時代の「戦時自給体制」に戻ることだ。
 現にそういう国もいくつかあるが、どの国も例外なしに経済が破綻に瀕している。
 国民の生活を犠牲にしている。
 それではなんのための自国産業の保護なのか分からない。
 九〇年代のアメリカは、そのまったく逆だった。
 好況でありながら、物価は上がらず、盛大にリストラが行われたが、ほとんど他の産業に吸収され、なおかつ失業しても、安い物価のお陰で飢えて死ぬこともなく、社会的大混乱も起こさなかった。
 しかも企業は、リストラで得た原資を技術開発に再投資する。そして、少しでも品質の高い、新しい商品を開発しないと生き残れない。
 デフレはそういう競争を世界的に強制している。それは農産物、水産品、鉱物資源のような一次産品から、高度の先端技術製品、あるいは、嗜好性の高い流行品やサービス産業に対しても例外ではない。デフレの原則は、商品の種類や市場の国籍なども問わずに容赦なく貫徹する。問題は、それにいち早く対応するかどうかだけだ。
 こういうデフレに、良いも悪いもあるはずがない。ところが日本では、経済学を学んだ者ほど判断がおかしくなっている。
 それは経済学者が、「インフレかデフレかを決めるのは通貨供給量だ」と信じ込んでいて疑わないからだ。

 
 「デフレ時代の成功法則」(長谷川慶太郎)徳間書店