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課題集 黄テイカカズラ の山

○自由な題名 / 池新



★この世の中には食べるものも(感) / 池新
 この世の中には食べるものもろくろく食べられず、着る着物も、夜寝る家もないというような気の毒な人がどれだけあるかわからないんですよ。それをまあ、お互いはとにかく暑からず、寒からず、大した欲さえ出さなかったら決して不自由をしない恵まれた現在に生きていて、さなきだにこうした大きな真理も理解さえ得られつつあるという事実を考えてみたらば、何と不平不満どころじゃない、ありがたい大きな感謝と喜びを感じませんか。
 恵みを受けて喜ばない人間は、人間じゃありません。恵みというのは、自分が求めざるに与えられた大きな喜びを言います。結局、人生は心ひとつのおきどころですもの。暗い考え方で、ものを見れば、どんな場合でも喜びと感謝は感じられません。けれど、どんな些細なことでも感謝を先にして、喜びでこれを迎えたらば、お互いの住む世界はそれこそ黄金花咲く爛漫たる喜びの花園になります。
 ですから、感謝を先にするということを忘れちゃいけない。
 極論すれば、病があろうが、運命が悪くなろうが、それを感謝と喜びにふりかえるのです。
 こう申しあげると、「何かうれしいことやすてきなことでも与えられたら、感謝、喜びは感じるなっていったって感じるけれども、いちばん人生で嫌な病や不運を与えられて、何が感謝だ」と考える人にひとこと申しあげたい。
 そもそも病とか不運とかというものの原因を考えてください。何にも自分に落ち度がなくして、病や不運がくるはずないのであります。つまり、原因あっての結果。「蒔(ま)かざれば花咲かず、実みのらず」であります。病なんかそうですよ。不運もまた、同然です。自分が生きるうえに何か誤りがあったがための結果の現象なんですからね。
 考えてください。天には我々がつかうような言葉がありませんから、事実をもってあなた方の自覚を求めるのであります。万物の霊長たる人間に生んでやったのに、万物の霊長たる人間としての生き方をしていない。さりとて、せっかく生みつけたものを、資格がないからといってすぐその資格を取りあげることは、かわいそうだ。それで、お前の生き方には間違いがあるから、その間違いを自覚しなさい、といって病をくだされたんだ、こういう考え方がいちばん確かだと私は思う。不運がまたそうなの。
 ですから、即座に殺されちゃったからって、喧嘩にもならないのを、お前の生き方に誤りがあるぞ、と自覚を促すために病なり不運なりが与えられたとしたら、これは大きな恵みですわ。それを考えたら、恨みどころか、感謝にふりかえ、喜びで誤りを是正するほうへと自分の心を積極的にふり向けることがいちばん必要でしょう。悔やんだり、嘆いたり、心を弱くする暇があるんなら、本来の積極的な方面に心をふり向けかえる。結局、自分の心のおきどころひとつなんです、人生は。
 たとえば、事業がうまくいかない時でも、「俺は運が悪いなあ」と思わないで、「ああ、何か俺の心構えなり、方法なりに大きな間違いがあったのを、こういう結果になって、天が教えてくれているんだなあ」と考えなさい。「どこかに俺の筋道の違っているところがあるんだなあ。ああ、ありがたいことだ。このまま潰れてしまっても仕方ないのに、とにかく、生かしておいてくだされた。また盛り返すこともあるわい」と。
 「成功の実現」(中村天風著)