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課題集 黄タラ の山

○自由な題名 / 池新
○地域社会 / 池新


★それでは、ずば抜けた脳細胞を(感) / 池新
 それでは、ずば抜けた脳細胞をもっている日本人が、これほどまでに景気を低迷させてしまったのはなぜなのか――。
 私は、その原因が早急に導入されたグローバル・スタンダードにあったと考えている。
 バブル崩壊前の日本は、年功序列、談合、ファミリー主義の三本柱によって企業経営が成り立っていた。
 英語やコンピュータの扱いに長けた、二〇歳代前半の若手社員より、英語もコンピュータもまったく駄目な勤続三〇年の課長のほうが、より多くの給料をもらっていた。それに対して、若手社員もなんの疑問を抱くことがなかったし、なんの不満もなかった。
 役員人事でも、年少者が年長者を飛び越して社長に抜擢されただけで、「○人抜きの異例の人事」と新聞紙上をにぎわすほど、年功序列の習慣は日本企業に強く根付いていた。それだけ抜擢人事は珍しいことだったのである。そして、建設、土木をはじめとする多くの業界で、日常的に行われていたのが談合である。
 談合とは、業界内の無駄な競争を回避するために、「話し合い」で価格や受注者などを決めることである。官公庁の入札では、「前回はうちが落札したので今回はお宅が」と、「話し合い」により、入札前にすでに落札業者が決まっていた。
 さらに、日本企業はファミリー主義がベースにあった。国鉄フアミリー、トヨタファミリーなど、同族意識が強く、社員はそれを誇りとしていた。
 連日残業が続いているのに、残業後、さらに社員同士で居酒屋へ飲みに出掛ける。社員は会社に滅私奉公する代わりに、会社は社員に終身雇用を約束した。会社に入社したということは、その会社の家族の一員になったも同然だったのである。当時の日本のビジネスマンは、定時になるとさっさと帰宅するアメリカ人をどう見ていたか――。
 羨望するのではなく、軽蔑していた。バブル崩壊前まで、日本のサラリーマンは日本型経営の素晴らしさを世界に誇っていたのである。
 しかし、一九九〇年以降、国外のみならず国内からもグローバル化が叫ばれるようになり、各企業は「実力主義」「自由競争主義」などを柱とするグローバル・スタンダードの導入に躍起になり始めた。その一方で、日本経済がもっとも伸び盛りだった時代の制度、すなわち年功序列、談合、ファミリー主義の三本柱は、まるで犯罪であるかのように扱われ、捨てられることとなった。
 その結果、日本経済にどんな影響があったのか――。
 新しい制度をいくら取り入れたところで、日本経済はまったく好転しなかった。この一〇年間というもの、不況を理由にしたりストラを進め、年俸制、実力主義を導入し、終身雇用制が崩壊するなかで、日本経済は回復に向かうばかりか、かえってその混迷の度を深めてきた。
 グローバル・スタンダードは、日本の経営には合わなかったのである。
 私は、年功序列、談合、ファミリー主義の三本柱こそが、日本にもっとも適した経営方法であり、日本企業の強さの源泉だと考えている。
 では、なぜグローバル・スタンダードは、日本では成功しなかったのだろうか――。
 グローバル・スタンダードとは、一言でいえば、アメリカン・スタンダードである。
 第1章でも指摘したように、アメリカは正義の国、民主主義の国である。アメリカでは、多くの人種が混在する多民族国家であるがゆえに、一つの基準が必要とされた。その基準が、まさに正義であり、民主主義だったのである。
 結局、アメリカでは理屈しか頼るものがないといっても過言ではない。フェアと競争原理に基づいているのが、アメリカン・スタンダードなのである。
 それに対して、ジャパニーズ・スタンダードというべきものはあるのか――。
 日本は、理屈だけですべてが収まる国ではない。理屈で収まらないものも、「まあまあ」と言いながらうまく収まるようにやってきた。これは、長い農耕民族の文化が育て上げた生活の知恵の集大成なのである。
 これは、何もビジネスの世界だけのことではない。日常生活でも日本人は日ごろ波風が立たないよう、周りの人との軋轢を避けるよう、「まあまあ」と言いながら暮らしてきた。
 ビジネスの場にアメリカン・スタンダードを取り入れたところでそんなことができるわけもない。普段の生活は日本人のままで、仕事しているときだけはアメリカ人になりなさい、と言っているようなものである。

 「2002年日本経済バブル再来」(増田俊男)