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課題集 黄タラ の山

★今回の新指導要領が(感)/ 池新
 今回の新指導要領が狙う個性重視、自主性重視の教育は、六〇年代からのリベラリズムとヒューマニズムの高まりとともに、アメリカで行われた教育革新運動と同等のものといえる。
 カリフォルニア大学教授のジョン・グラッドによると、その理念は次の三点を骨子とする。(1)悪いのは、生徒でなく制度である(2)従来のように、すべての生徒に画一的な学校体制を強いるのはよくない(3)個人個人に違った教育があってしかるべきである
 しかし、八〇年前後まで続けられたこの手の教育改革の結果は惨澹たるものだった。アメリカの大学受験資格試験であるSATの数学や言語能力の得点の低下が問題にされ、十七歳の若者の一三%が機能的な文盲(日常の読み書きができない)と見なされ、数段階の展開が必要とされる数学の問題が解ける者は全体の三分の一に過ぎなかった。
 この学力調査の結果を踏まえて、アメリカも前述のような試験重視、家庭教育重視の教育政策を強力に推し進めるのである。結局のところ、総合学習や個性重視などの教育は少なくともアメリカやイギリスでは失敗に終わったと判断されている。もちろん、日本の教育に「実験的」に取り入れることを全面的に反対するつもりはないが、特に理数系や母国語などの重要科目の授業時間を減らしてまでこれを取り入れる必要があるのかどうかには強い疑問を持たざるを得ない。さらにいうと、生徒の評価法についても、日本は世界の潮流と逆行している。
 二〇〇〇年十二月四日に、文部大臣(現・文部科学大臣)の諮問機関、教育課程審議会は、この「ゆとり教育」「総合学習」を目玉とする新学習指導要領の実施に当たり、今後は「学力」をどう評価するかを検討した答申を発表している。
 その中で、通知表や内申書の原本となる指導要録についての改善策が示されているが、その中に、「これからの評価の基本的な考え方」が謳われている。まず第一に「学力については、知識の量のみでとらえるのではなく(略)「生きる力」がはぐくまれているかどうかによってとらえる必要がある」とされている。
 この「生きる力」とは、(1)自分で課題を見付け、自ら学び、自ら考え(略)、よりよく問題を解決する資質や能力であると同時に、(2)自らを律しつつ他人と協調し、他人を思いやる心(略)などの豊かな人間性であり、(3)たくましく生きるための健康と体力、であるとされている。つまり、学力を測るのにも、人間性や体力まで評価の対象となることになる。
 どのようにそれを評価するかは、「評価方法の工夫改善」という項目に記載されている。
 第一に、「分析的な評価、記述的な評価を工夫すること」、第二に、「評価を行う場面としては、学習後のみならず、学習の前や学習の過程における評価を工夫する」。つまり、テストの成績を得点だけで評価するのでなく、それを教師が分析し、また、授業中の態度も評価の対象とされる。
 これについても理念上は素晴らしいものだが、現在の世界の潮流では、ペーパーテスト学力の向上が学力の向上と見なされ、その達成のために真剣な教育改革が取り組まれている。主観的評価が入りすぎるあいまいな評価では教育の成功か失敗かを判断できないからだ。
 しかし、日本では、すでにペーパーテスト以外の内申書が高校入試の中で大きなウエイトをしめ、大学入試でも推薦入学やAO(アドミッション・オフィス)入試が広まっている。誤解のないようにいっておくが、アメリカのAO入試の場合は、SAT(アメリカの進学適性試験)である一定の点を取らないと合格できない。日本のようにまったくペーパーテストを課さないことはあり得ないのだ。そして、今回の指導要領の改訂に伴って、さらにペーパーテスト学力を軽視した評価法が採用されようとしている。実は、前述のG8教育大臣会合の議長サマリーでの各国の目的の中には、「成績や学力をモニターし比較するための指標を開発すること」が盛り込まれている。つまり、国際レベルでの学力テストが準備されようとしているのだ。しかも、これは遠い将来ではないだろう。
 だとすると、そうでなくても子供の勉強時間が減っている中、このようなゆとり教育や総合学習の重視やペーパーテスト学力の軽視の教育を受けた子供たちが、国際標準試験でどれだけの点数が取れるのかは極めて心もとない。国際化の流れの中で、このテストでどれだけの点数を取れるのかは、本人の就職や受けられる卒後教育にかなりの影響を持つことだろう。その時に点数が低いと騒いでも、その取り返しには相当な時間がかかってしまうのだ。

 「教育は何を目指すべきか」(加藤 寛 他)