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課題集 黄タラ の山

○自由な題名 / 池新
○個性、勉強の意味 / 池新


★その前に一つだけ(感) / 池新
 その前に一つだけ伝えておきたいのは、このような学力低下を報告しようにも、文部省(現・文部科学省)は、「論座」二〇〇〇年三一四月号で、有馬元文部大臣(現・文部科学大臣)が明言しているように、これまでのカリキュラムが良かったか悪かったかを評価できるような学力調査を一切行っていない(一九六六年=昭和四十一年までは文部省(現・文部科学省)の学力テストが施行されていた)。子供の学力状態がどうなっているのかを判断する材料すら、文部省(現・文部科学省)は持ち合わせていないのである。こういう役所に、日本の子供の教育を管理させることに私は戦慄すら覚える。
 私の入手し得る限り、最大かつ最も客観的なデータベースは日本最大手の予備校、河合塾のクリニックテストである。
 このテストは、高校を卒業し河合塾に入ってきた生徒が四月初旬に受けるもので、九五年(平成七年)の生徒(約四万千人)と、九九年(平成十一年)の生徒(約二万九千人)が共通に受けた問題での比較がなされている。
 簡略のために、理系生徒の数学の点数を比較しよう。前年に受けた模試(約二十三万人が受験する日本の高校生の学力をおおよそ想定できる大規模なもの)の偏差値をもとに、上位(偏差値六十五以上)、中上位(同五十五・〇〜六十四・九)、中位(同四十五・〇〜五十四・九)、下位(同四十四・九以下)にわけて、同じ群どうしで比較すると、以下の通りであった。上位八十四・五→八十一・五、中上位七十一・〇→六十二・〇、中位五十七・〇→四十一・七、下位三十七・一一→二十一・五(すべて百点満点)
 同じ偏差値四十五・〇〜五十四・九という中位層の生徒が、九五年には平均で五十七点取れていたのに、九九年では四十二点弱しか取れていない。下位に至っては、九五年の半分近い二十一・五点しか取れなくなっているのだ。
 しかも、これは受験で数学を必要とする理系の生徒を対象にしたものである。大学受験をしない子供や数学受験を必要としない文系の生徒はさらに悲惨な状況であろう。もちろん、これは数学に限った話ではないはずだ。
 また、この学力低下は大学受験生に限ったものではなさそうである。私も最近になって、方々の大手学習塾(多くは中学受験生、高校受験生を対象にする)に頼まれて講演をするのだが、「自分の塾における生徒の学力低下が気になっていたが、ほかの子はもっと勉強しなくなっているらしく、以前なら信じられないような成績の子が、名門中学、名門高校に入る」というような趣旨の話をよく聞かされる。こういう話はデータ化されていないのが残念だが、現状では小・中・高のすべての生徒の間で深刻な学力低下が起こっているのは間違いないだろう。
 この学力低下であるが、原因は意外に単純なところにあると私は見ている。
 要するに、子供が勉強しなくなっているのである。「高校生文化と進路形成の変容」という共同研究(研究代表・樋田大二郎氏)では、二つの県の十一校の高校二年生千三百七十五人を対象に、一九七九年(昭和五十四年)と九七年(平成九年)の高校生の学校外での学習時間(塾・予備校での勉強を含む)が調査された。この十八年間に平均の勉強時間が九十七分から七十二分に減っているのは憂うべき事実であるが、それ以上に気になるのは、塾や予備校に通わない上に、家に帰ってから一秒も勉強しないという子が、二二%から三五%に増加しているのである。
 もっと最近の傾向を見ると、東京都の調査では、中学二年生で家でまったく勉強しない子供が、九二年(平成四年)には二七%だったのが、九五年(平成七年)には三五%、九八年(平成十年)には四三%となっている。
 ちなみに、九四年(平成六年)から九五年にかけて行われた国際教育到達度評価学会による大規模な調査では日本の中学二年生の平均勉強時間は二・三時間で世界平均の三時間を大きく下回り、調査対象の三十九カ国中日本より勉強時間が少なかった国はわずかに八カ国であった。
 この調査が行われた九五年からたった三年の間に、家で一秒も勉強しない子供がこんなに急増しているのであるから、現在の日本の子供の勉強時間は世界の最低レベルと考えてよいだろう。
 おそらく家で一秒も勉強しない層の多くは、大学に進学をしない生徒たちなのだろう。河合塾のクリニックテストでも下位層ほど学力低下が著しかったが、それ以下の層が確実に存在していて、その層の学力は前述のテスト結果以上に低下しているうえ、増殖しつづけているのである。この層にいる人間が、将来の知識社会で生き延びていくことは極めて困難だろう。
 もちろん、彼らを見殺しにすることはできないだろうから、社会は大きなお荷物をしょいこむことになるわけだ。現状のままでは、子供の勉強離れに歯止めがかかる見込みは極めて小さい。

 「教育は何を目指すべきか」(加藤 寛 他)