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課題集 黄タラ の山

○自由な題名 / 池新
○本 / 池新


★教育基本法を改正しなければ(感) / 池新
 教育基本法を改正しなければならない第二の理由は、その文章が抽象的にすぎることにある。抽象的すぎるがゆえに解釈も恣意的に行われその恣意的な解釈に基づいて学校教育法が制定されている。学校教育法は、学校教育の方針が規定されている法律だが、同法では公立学校を中心に学校教育が考えられており、私立学校にとっては不自由なことが多いのである。
 たとえば、「学校設立の自由」を学校教育法は認めていない。私たちは、学校の設立を自由化して、それぞれの学校が良い教育の競争をすることによって、より優れた教育が生まれると考えている。こうした立場からすると、学校の設立を自由化するためには学校教育法を改正しなければならないし、学校教育法を改正するためには教育基本法を明確な形に書き改めなければならない。今のような形で現行の教育基本法が残っている限り、新しい時代にふさわしい学校教育は望めないのである。
 昨年(二〇〇〇年)の十二月二十二日に、教育改革国民会議の最終報告書が発表された。そこでは、「人間性豊かな日本人を育成する」「新しい時代に新しい学校づくりをする」といったことが提案されている。私たちは、これらの提案に賛意を惜しまない。だが、同時に懸念するのは、これらの提案が、現行の教育基本法のもとでは否定されかねないことである。そのことを教育改革国民会議の委員はどのように認識していたのであろうか。もし、現行の教育基本法のもとでも提案されているような具体的な教育改革ができると考えているならば、その認識は不十分であるといわざるを得ない。私は、教育改革国民会議の委員が、そうした不十分な認識のもとにあるとは考えていない。それは、最終報告書において、新しい時代にふさわしい教育基本法の検討を提言していることを見ても明らかである。
 私が理解できないのは、なぜ教育基本法の検討が教育改革国民会議の最終報告のあとで行われなければならないのかということである。およそ改革というものは、まず基本となる理念、前提があり、そこから具体的な改革案が出てくるものであろう。教育改革も同様であり、根本的な原理・原則ができていなければ、何のために教育改革を行っているのかがわからなくなるのではないだろうか。
 最終報告の中で、教育改革国民会議は、「新しい時代を生きる日本人の育成」「伝統・文化の次代に継承すべきものの尊重」「教育基本法の内容に、理念的な事項だけでなく具体的方策を規定する」などを個別に提案しているが、本来は、これらを盛り込んだ教育基本法をつくるべきであったろう。改革の原理・原則が明確になってこそ、初めて教育改革の具体的な方策が出てくるはずである。
 新しい教育基本法の検討が進まないまま、森総理は二〇〇一年冒頭の通常国会を教育改革国会と名づけ、具体的な方策を次々に法律化することを考えているようである。これは明らかに文部省(現・文部科学省)が自分たちにとって都合のよい法律をつくることを意味している。私自身、前川レポートをまとめた時に苦い経験をしている。私は「農業の自由化を促進することによって、国際競争力をつける」という文章を入れたのだが、官僚が法律をつくる段になって、これが「農業の国際競争力を高めてから自由化する」という表現に逆転されてしまった。これでは本末転倒である。このように前提と結論を逆転することによって、自分たちに都合のよい解釈をするのが官僚の常なのである。
 そのようなことを、教育改革国民会議の委員が知らないとは思えないが、教育基本法の検討を後回しにしたことによって、教育改革に対して官僚が都合のよい解釈をする余地ができてしまった。その意味で教育改革国民会議の最終答申はほとんど意味がない、と私は考えている。
 三番目に私たちが考えなければならないことは教職の規定についてである。
 現在の学校教育法では、「教職に就くためには、教職課程をとらねばならない」と規定している。しかし、大学で教職課程の単位をとることが、教育に携わる人にとってどれほど重要なことなのだろうか。教職課程をとっている人たちは、ただ単位をとる目的で授業に出席しているだけであり、「教育実習」とはいっても短期間のきわめて形式的なものであって、これから教職に就く人にそれほどの意味があるとは思えない。教育というものが人間の豊かさを伸ばすものであるとするならば、現在行われているような形ばかりの教育実習などしなくとも、教育者としてふさわしい人が他に大勢いるはずである。にもかかわらず、教職課程をとって教育実習を受けた人のみに単位を与え、資格を付与するというのは、教育者を増やしたくないという、まさにギルド社会的な発想である。私たちはこのような発想では教育改革はできないと考えている。

 「教育は何を目指すべきか」(加藤 寛 他)