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課題集 黄ススキ の山

○自由な題名 / 池新
○ペット / 池新

○「環境サミットとか」を読んで / 池新
★OECDから(感) / 池新
 OECDから発表された先進十四ヵ国の成人を対象とした科学技術に対する国際比較調査では、日本人の科学技術への関心は、十四ヵ国中の最低であった。同時に行なわれた日本人の科学的知識の調査では、最下位のポルトガルとほぼ同水準の十三位であった。
 学力調査の結果を話すと、「私も分数の計算ができない」「私はこれまで困ったことがない」という反応をする人たちがいる。それが女性であれば、「それでは、あなたのご主人あるいはこれから結婚する人が、小学校の算数ができなくてもいいですか」と聞くと、「それは困る」という。
 教育の問題では、自分のことや自分の子供のことを個人的に話題にされていると受けとめて感情的になる人が多い。しかし、初等・中等教育の問題は、個人、それももう学校教育を終えた人のことを検討しようというのではない。これからの子供たちがつくる将来の社会の検討なのである。教育とは、社会的投資である。
 数学は、やらなければ忘れるのは誰でも同じである。数学を使わない社会人が昔習ったことを忘れるのは自然である。問題なのは、高校で数学を学んできたはずの大学一年生が、小学校の分数まで忘れているほど、高校で数学から遠ざかっていることなのである。
 学力調査で使った答案を見ると、小学校の算数で間違えた学生の大多数は、二次方程式から先の問題が全滅である。これは、高校に入学してから、数学をまったく勉強していないことを表している。入試で数学を課していない大学が多く、数学を捨てても大学に入学できるからである。
 学力調査の結果に関しては、小学校の教育に責任があるのではなく、数学を大学入試科目からはずしていることに原因がある。
 ある文化人が「二次方程式は使わないから、教えなくてよい」といったこともあり、一般には二次方程式は役に立たないと思われているようである。しかし、日本以外の先進国やアジアの国のほぼすべての国では、大学入学資格試験で数学が必修とされている。これは、すべての人が数学を日常的に使うからではない。数学の学習が論理的思考を養うからである。
 そして、数学を学ぶ、もう一つの理由は、職業の選択肢を広く保ち、異なる仕事に適応できるようにするためである。
 数学は、一度学んだ経験があれば、たとえ忘れても、将来、転職や配置転換で必要となったときに、学習し直すことが可能である。一方、一度も学ばずに社会に出てしまえば、必要なときに数学を学習するのは容易ではない。
 二次方程式以降を学ばなかった学生が、小学校の算数を忘れて大学に入学し、卒業していることからも、数学の学習を日常生活で使うことだけにかぎることが、子供の能力をみすみす退化させていることがわかるであろう。生きてゆくために数学の学習は必要なのである。
 
 「算数軽視が学力を崩壊させる」(和田秀樹、西村和雄、戸瀬信之共著)のうち西村和雄の文章より抜粋